御門(みかど)
帝(みかど・日本読み、中国読みはディ・テェィ)の語源であるが、元は御門(みかど)である。
これが、初期の神社の成り立ちと大きい関わりがある。
「御門(みかど)」と言う呼称であるが、門(もん/かど)に特別な意味があるのは、定住した部族が城砦集落(じょうさいしゅうらく)を築き外敵から部族を一括して守った事から、その出入り口に在る門(もん/かど)を「その部族の象徴」としたものを部族のリーダーに結び付け、そのリーダーを「御門(みかど)」と呼んだのではないだろうか。
そしてその城砦集落(じょうさいしゅうらく)の中心にシャーマニズムを統治に活用する部族のリーダー・御門(みかど)の住居としての屋敷が設けられ、時を経てその地が聖域として神格化されて「神社に成った」と推測するのである。
つまり、門構えがある砦状の屋敷を持つ有力者(征服部族長)の象徴が、御門(みかど)と言う「尊称だった」と考えられる。
逆説的に推測するに、「門を持つ屋敷」は、有力者にしか持つ事は許されなかったのでは無いだろうか?
また、そうした部族長の一部が支配域を広げて国主(くにぬし・王/臣王)に成長し、国主=御門(みかど)と成り、多くの国主(くにぬし)=王(おう)が集まって大国主(おおくにぬし)=大王(おおきみ・後の帝/みかど)を選出した。
御門(みかど)が有力者(征服部族長)の尊称であるから、その屋敷の門が独特の権威を持つ。つまり御門(みかど)は当初一人ではなく地域地域で大勢居た。
そして、その有力者(征服部族長)は、被支配者統治の為に神格化して行く。
有力者(征服部族長)の砦状の屋敷も神域化されて、鎮守氏上が鎮守氏神に成って初期の神社の様式が出来上がった。
当初、「社(やしろ)」は神の降臨する為の場所だった。
つまり、神の声(御託宣)を頂く為の祭場だったのである。
所が、何時の頃からか「社(やしろ)」とは建て物であり、神はそこに「常在するもの」と言う解釈に変化して行った。
この辺りに氏神(氏上)様のカラクリがある。
氏神(氏上)様の屋敷が社(やしろ)に成り、敷地が御神域に成って、精神的にも冒(おか)す事出来ない権力と成った。
わが国独特の建造物として、鳥居(とりい)がある。
つまり、御門(みかど)として独特の権威を持つ鎮守氏上の屋敷の門が、神格・神域化して殊更権威ある物としての特別な門「鳥居(とりい)」の様式が、時間を掛けて完成されて行った。
まぁ、判りやすく言えば、氏神(うじがみ・氏上)の屋敷兼砦の門が、権威を得て「鳥居に成った」と言う事である。
ちなみに、御門(みかど)が部族長或いは部族王の尊称であれば、安倍氏・貴族・土御門家(つちみかどけ)は紛れも無く土族(つちぞく)の長(王)であり、阿倍比羅夫(あべのひらふ)は勾玉(まがたま)を祭祀に用いた縄文人(蝦夷族)の長に違いないのではないか?
また、古代ヘブライ(ユダヤ)の失われた十支族渡来説としての語学的酷似点としては、ヘブライ語の「ミコト・ミカド」の意味は「神々・天皇・貴人」の事を指す所から、ナニャドヤラ・古代ヘブライ(ユダヤ)伝説との類似を指摘している。
◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。
関連記事
【大王(おおきみ)=天皇(てんのう)】に飛ぶ。
【鳥居(とりい)】に飛ぶ。
【「厩戸皇子(うまやどのみこ)=聖徳太子」】に飛ぶ。
【聖徳太子は実在したか?】に飛ぶ。
【ナニャドヤラ・古代ヘブライ(ユダヤ)伝説】に飛ぶ。
【第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ】
<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2008-04-27 19:09