平家(へいけ)
平清盛が娘を天皇に娶らせ、その娘が子を為した事で、天皇の外祖父と成り、一族(伊勢平氏)が、強大な力を誇ったからである。
その平清盛の専横に後白河法皇が抵抗を始める。
翌年の清盛による後白河法皇幽閉とその後の高官追放の影響を受けて土御門(源)通親(つちみかど・みなもとの・みちちか)は参議に昇進、以仁王の乱追討・福原京遷都ではいずれも平家とともに賛成を唱え、親平家の公家として摂関家の九条兼実やその周辺(代表格が藤原定家)と対立している。
平家は、まさしく並ぶ者なき実力者である。
しかし清盛は、太政大臣就任三ヶ月ほどで原因不明の腹痛(重病)に倒れ、一時は死の境をさまよった。
勘解由小路党の仕業で有るが、清盛は奇跡的に乗り切っている。
これを機に、清盛は太政大臣を辞めて隠棲して入道となり、相国入道と呼ばれる。
しかし実権は手放さず、絶大な権力を維持したままだった。
平家は一族で主要官位を独占し、全国に五百余りの荘園を保有し、日宋貿易を推進して莫大な財貨を手にした。
この扱いの差を不満とした源義朝は、藤原信頼と組んで「平治の乱」を起こす。
しかし源義朝は、平清盛に破れ敗走する。
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皇統と鵺の影人
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未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2008-04-27 19:54