秀吉中国大返しの奇跡(一)
ここでその秀吉中国大返しの奇跡の種明かしをして置く。
木下藤吉郎(豊臣秀吉)を織田家に推挙した生駒家と後に秀吉の臣下となる蜂須賀家の両家は、親類縁者の立場にあった。
つまり両家とも秀吉には少なからぬ縁(えにし)が有った。
その縁(えにし)が秀吉中国大返しの奇跡を生んだ輜重(しちょう)能力の秘密である。
明智光秀も読み違えた秀吉の「中国大返しの奇跡」、実は秀吉ならではの人脈の賜物だった。
前述の通り、生駒家は藤原北家の末裔で、武を用いる氏族の出自であるが、兼業で馬を利用して荷物を運搬する輸送業者「馬借(ばしゃく)」を収入源にしていた。
その事から、河川上の運搬輸送業者である木曾川並衆の頭目・蜂須賀小六(彦右衛門・正勝)とは業務に連携が有って当たり前で、秀吉軍は兵糧部隊も含め、生駒家の協力で、中国街道筋の「馬借(ばしゃく)」が、大軍の大移動を全面支援したのである。
【生駒家(いこまけ){秀吉中国大返しの奇跡(二)}】に続く。
【輜重(しちょう){秀吉中国大返しの奇跡(三)}】に飛ぶ。
関連記事
【豊臣秀吉】に飛ぶ。
【日吉神社(日枝神社)と豊臣秀吉】に飛ぶ。
【豊臣秀吉(とよとみのひでよし)その出自の疑惑】に飛ぶ。
【北政所「おね(ねね)」と生家・杉原(木下)家】に飛ぶ。
【黒俣(すのまた)一夜城(秀吉出世城)】に飛ぶ。
【武将と髭(ひげ)と影武者と・・山崎合戦】に飛ぶ。
【清洲会議(きようすかいぎ)】に飛ぶ。
【賤ヶ岳の合戦(しずがたけのかっせん)】に飛ぶ。
【小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦い】に飛ぶ。
【秀吉の紀州(根来衆・雑賀衆)征伐】に飛ぶ。
【秀吉の小田原・四国・九州平定】に飛ぶ。
【太閤刀狩(たいこうかたながり)】に飛ぶ。
【文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき/朝鮮征伐)】に飛ぶ。
【第三巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ】
<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2008-04-27 21:24