比叡山・延暦寺(えんりゃくじ)
最澄(伝教大師)は、空海(弘法大師)と共に信仰(仏教)のみならずあらゆる最先端の大陸文明を持ち帰り、日本列島(大和の国)の新時代の扉を開くきっかけをもたらせた。
ちょうど桓武天皇(かんむてんのう/第五十代)のダイナミックな治世が行われた頃で、この頃の都は長岡京 (ながおかきょう)から遷都(七百九十四年)されたばかりの平安京(へいあんきょう)だった。
その天武天皇(てんむてんのう/第四十代)の御世、六百八十一年七月に駿河国の東部二つの郡(賀茂郡・駿東郡)を割いて伊豆国を成立させている。
そして空海(弘法大師)は、唐留学から帰朝して間もない時期に都から遠い伊豆国・修善寺の地に「桂谷寺」と言う寺を開山し、伊豆国に橋頭堡を築いている。
この一連の動きには、何か隠された伊豆国の謎があるのではないだろうか?
織田信長が【比叡山焼き討ち】をするへ続く。
伊豆国の謎、詳しくは【葛城ミステリーと伊豆の国=伊都国(いとこく)説】に飛ぶ。
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皇統と鵺の影人
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