人身御供(ひとみごくう)・掛ける
昔、病や怪我は祟(たた)りと考えられ、信仰深く素朴な庶民は恐れていた。
つまり、山深い里にまで足を運ぶ修験の山伏は、庶民の頼り甲斐ある拠り所だった。
その修験道の山伏達は、渡来した様々な鉱物や植物の薬学知識、精神ケアに要する宗教知識を駆使して庶民の平穏を願い、神の使いとして信頼を勝ち得た。
そこでは、密教・修験道の「山伏」が、その山岳信仰から山岳の主「日本狼」と重ね合わせて「神の使い大神信仰」と敬われて行った。
従って、その根底に流れている密教の北辰・北斗信仰の使いが狼信仰で、{狼=オオカミ=大神}と言う訓読みの意味合いもある。
「信頼を勝ち得る」と言う事は、裏を返せば「信じた者を操れる」と言う事である。
過去、陰陽寮を作ってまで宗教と占術を「国家がいじる」と言う歴史は、その目的があるからこそ存在した。
夢を壊して悪いが、各地の山里に語り継がれる「人身御供伝説」の仕掛け人はこの修験道の「山伏」と考えられる。
「乙女を縛(しば)きて吊るし、掛けに供し・・・」男衆、老いも若きも列を成して豊作を祈願す。
何処までが本気で何処までが方便かはその時代の人々に聞いて見なければ判らないが、五穀豊穣や子孫繁栄の願いを込める名目の呪詛(じゅそ)として、祭り(祀り)としての性交行事が認められていた。
鳥居内の神域(境内/けいだい)においては、性交そのものが「神とのコンタクト(交信)」であり、巫女、或いはその年の生け贄はその神とのコンタクトの媒体である。
祭りに拠っては、その神とのコンタクトの媒体である巫女、或いはその年の生け贄の前に、「ご利益を得よう」と、神とのコンタクト(交信)の為の行列ができるのである。
高千穂神楽(たかちほかぐら)と所謂(いわゆる)「日本神話」との関係については、誰も異論は無いだろう。
だが、高千穂神楽を語る時、避けて通れないもう一つの「神話」がある。
それが高千穂に伝わる「鬼八伝説」である。
畿内への東征(神武大王の東征?)から帰郷したミケヌ(三毛入野命)は、後に神武大君(じんむおおきみ・神武大王・初代天皇)となるカムヤマトイワレヒコ(神倭伊波礼琵古命・神日本磐余彦尊)の兄で、高千穂神社の祭神である。
そのミケヌが、「アララギの里」に居を構えた。
同じ頃、二上山の洞窟に住んでいた「荒ぶる神」鬼八(きはち・蝦夷族?)は山を下り、美しい姫・ウノメ(鵜目姫。祖母岳明神の孫娘)を攫(さら)ってアララギの里の洞窟に隠した。
或る時、ミケヌが水を飲もうと川岸に寄ると、川面に美しい娘が映って話し掛けた。
「ミケヌ様、鬼八に捕らえられているウノメをお助け下さい。」水面に映し出されたウノメの姿に助けを求められたミケヌは、他にも悪行を繰り返す鬼八(蝦夷ゲリラ)の討伐を決意する。
「心配には及ばぬ。私が必ず助け出す。」
ミケヌは、四十四人の家来を率いて鬼八を攻めた。
鬼八は各地を逃げ回った挙句、二上山に戻ろうとした処でミケヌらに追い詰められ、遂(つい)に退治された。
しかし、そこは妖怪である。
鬼八は何度も蘇生しようとした為、亡骸は三つに切り分けられ別々に埋葬された。
この鬼八伝説、単純に聞けばよくありがちな「おとぎ噺」だが、一説には往古の先住民族と大陸系征服民族の抗争が描写されていて、その先住民族の末裔達がこの地方独特の「ある姓を名乗る人々ではないか?」とも言われて居る。
後日談では、救出されたウノメはミケヌの妻となり、「八人の子をもうけた」と言う。
その後末裔が「代々高千穂を治めた」とされている。
処が、ここからが問題で、死んだ鬼八の「祟り」によって早霜の被害が出る様になった。
この為、「鬼八の祟り」を静める為に毎年慰霊祭を行う様になった。
高千穂・猪掛け祭りは、新暦一月中旬(旧暦十二月三日)のこの日に執り行なわれる収穫祈願祭りである。
来る年の豊作を願って執り行なわれる年末の神事が、子作り神事と共通していても不思議では無い。
「乙女を縛(しば)きて吊るし、掛けに供し・・・」
「掛ける」は、古来より性交を意味する言葉である。
この慰霊祭の風習では、過って永い事生身の乙女を人身御供としていた。
高千穂「人身御供伝説」として伝わる「鬼八伝説」の人身御供の様式は、もっとも基本形の一つである乙女の半吊り責めである。
素っ裸の人身御供(生贄女性)を、神社に設(しつら)えてある舞台に曳き出し、縄で手首を後ろ手に縛(しば)いてその縄を、首を一回りさせて縛(しば)いた手首を上にガッチリ絞(しぼ)る。
もう一本縄を取り出して縛(しば)いた乙女の手首に結び、絞(しぼ)りながら肉体(からだ)の乳房の周囲を二本平行に巻いて絞(しぼ)って縛(しば)き、やや脚を開かせて踏ん張らせる。
天井から垂れ下がった縄で後ろ手に縛(しば)いた乙女の腕の結び目を結(ゆ)わえる。
人身御供(生贄女性)に上半身を前に倒させて腰を後ろに突き出した前屈(まえかが)みの形にさせ、縄丈(なわたけ)を調節し脚が床に届く様に半吊りに吊る。
「乙女を縛(しば)きて吊るし掛けに供し・・・男衆、老いも若きも列を成して豊作を祈願す。」
これが永い事、高千穂の人身御供の風習だった。
だが、戦国時代になって、供される娘を不憫(ふびん)に思った城主・甲斐宗摂(かいそうせつ)の命により、イノシシを「乙女の代用とする事」と、呪詛様式になった。
さて問題は、高千穂神楽(岩戸神楽)には陰陽師の呪詛様式が色濃く残っている点である。
この伝説自体に高千穂神楽との結び付きが出てくる訳ではないが、慰霊祭「猪掛祭(ししかけまつり)」は注目に値するのだ。
いかにも修験者の仕事らしい伝説だからである。
まずこの「人身御供」は、神代の時代からの伝承に基付き、戦国時代の甲斐宗摂(そうせつ)の命令があるまで、生身の乙女を供する事が続けられて居た。
すると、何者かが鬼八伝説を利用して、「人身御供」のシステムを作り上げ、少なくとも数百年間は、それが継続していた事になる。
もしかすると村人達も、実は「人身御供」の真の目的を理解していて、それでも「忌み祓い呪詛」の為には人身御供も仕方が無いと結論付けて居たのかも知れない。
定期的に「人身御供」を供給する為に、便宜上、「猛獣の生贄」とする伝説化を村ぐるみで作った可能性も有るのだ。
「この伝説の中で始まった」とされる鬼八の慰霊祭も今日に伝わっていて、高千穂神社で執り行われる「猪掛祭(ししかけまつり)」がそれである。
猪掛(ししかけ)の「掛け」の意味は、人架け(獲物縛りに吊るされてぶら下がった状態の人身御供)である。
代替として「人身御供」の乙女の代わりに、社殿に猪を縄で結わえて吊り下げるからで、単純に考えれば以前は「人身御供の娘を結わえて吊るしていた」と考えられ、陰陽呪詛的な匂いを感じるのである。
「掛ける」は、古来より性交を意味する言葉である。
我が国では、四足動物を人為的に交尾繁殖させる行為を【掛ける】と言う。
この「掛ける」の語源であるが、歌垣の語源は「歌掛け」であり、夜這いも「呼ばう(声掛け)」である。
この修験道の「密教・山岳信仰」のルーツこそ、中華帝国を経由し仏教と習合して伝わった遥かヒマラヤ山脈の「夜這いの国々のヒンズー教起源」である事は間違いない。
元々弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典を現代の先入観に当て嵌めて真言密教を理解しようとする所に無理がある。
弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典には、ヒンドゥー教の経典も多数含まれていた事から、真言密教が生まれた。
だからこそヒマラヤ原産の桜木も日本に伝わり、吉野に代表する山岳信仰と桜木は日本でも一体のものと成った。
こちらは曲亭(滝沢)馬琴の「南総里見八犬伝」の話であるが、「走る」の意味も「駆ける」であるが、当てる字が違う。
千葉県館山市上真倉に妙音院(安房高野山妙音院)がある。
天正年間に、安房の国の大名・里見義康公の発願により紀州高野山の直轄別院・里見家の祈願寺として開山された南房総唯一の古義(高野山)真言宗の寺である。
つまり、里見氏(さとみうじ)は真言宗との縁が強い。
妙音院も、紀州根来寺内の密教修験院の名を取った妙見信仰の証である。
その妙音院からちょうど北東(鬼門)の方角に意味深な地名がある。
南房総市の一角に旧安房郡富山町があり、その富山町の平群地区にある地名が、「犬掛」と言う、まるで八犬伝が実際にあったがごとき地名である。
伏姫はフィクションで実在しないので、誰か女性が、忌み祓いの為に、犬を「掛けられた」と言う「昔話(伝承)が存在した」と解釈するのが妥当である。
勿論「南総里見八犬伝」は滝沢馬琴の創作小説であるが、その題材の基に成った妙見信仰の伝承が在り、その伝承の地が安房の「犬掛」だったのでは無いだろうか?
そうなると、昔話の方は修験山伏の仕事と解釈するのが妥当である。
しかしこの獣姦、現代の感覚で考えてはいけない。
山犬は大神(狼)であり、犬公方と言われた五代将軍・徳川綱吉により、「生類哀れみの令」が発布される時代だった。
つまり、神の子を宿す神聖な呪詛である。
しかも「八っ房」と「伏姫」との「犬掛け」はあくまでも伝承であり、現実には天狗伝説に在るように天の狗(てんのこう/てんのいぬ)=修験山伏の行者の仕業なのである。
下総国(千葉県)に在る地名「犬掛」は、当主・里見義豊が叔父(父の弟実堯)の長男・里見義堯との家督相続の戦いに破れ、自刃した不吉な古戦場跡で、鬼門の方角に当る。
今以上に信心深い時代の事である。
鬼門封じの呪詛を、里見家が修験道に命じて、密かに執り行った可能性は棄てきれない。
或いは曲亭(滝沢)馬琴が、その土地に密かに伝わる「人身御供伝説の噂」を参考に、作品に取り入れた可能性も棄てきれないのである。
つまり、曲亭(滝沢)馬琴の南総里見八犬伝は、山犬(狼=大神)信仰と人身御供伝説を江戸時代の当世風にアレンジした小説である。
曲亭(滝沢)馬琴の里見八犬伝の「八」は、日本古来の信仰から「八」を導いている。
八犬伝(八剣士)であり、犬の名は八房である。
日本の神話のキーワードは「八」と言う数字である。
また、犬に関わる人身御供伝説は、日本全国に数多く存在する。
神話の伝承によると、スサノオ(須佐王)には、八人の子がいる事に成っている。
大八州(おおやしま・日本列島)、八百万(やおよろず)の神、八頭(やあたま)のおろち、八幡(はちまん)神、そしてスサノオの八人の子、つまり、子が八人だったので「八」にこだわるのか、「八」が大事なので無理やり八人の子にしたのか。
恐らく、「八」と「犬」に特別な意味合いが有るから「八犬伝」であり、他の数字では在り得なかったのだ。
弥生時代、日本列島は様々な異民族(異部族)が小国を創って割拠する人種の坩堝(るつぼ)で争いの地だった。
元々「日本の神話信仰」の根幹を為すのは異民族(異部族)同士の性交に拠る平和的和合(統合)であり、出来た子の代は異民族(異部族)混血の同一族である。
実はこれらの神話は、多くの多部族・多民族が日が昇る東の外れの大地・日本列島で出遭った事に始まる物語である。
その多部族・多民族が夫々(それぞれ)に部族国家(倭の国々)を造り鼎立していた日本列島を混血に拠って統一し、日本民族が誕生するまでの過程を暗示させているのである。
つまり、祭り(祀り)事は政(マツリゴト・政治)であると同時に政治は性事で、誓約(うけい)の性交は神聖な神事(マツリゴト・政治)である。
従って初期の神殿(神社)で執り行われた神事が性交そのもので在っても不思議は無く、その痕跡が現代でも垣間見られて当たり前で在る。
為に神殿(神社)性交は異民族(異部族)和合の神事で、これを「現代の性規範で否定しよう」とするから理解がされないのである。
元々弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典を現代の先入観に当て嵌めて真言密教を理解しようとする所に無理がある。
弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典には、ヒンドゥー教の経典も多数含まれていた事から、真言密教が生まれた。
ヒンドゥー教は、シヴァ神の御神体・リンガ(男根神)を仰(あお)ぐ信仰で、人々は性交しているシヴァを女性器の内側から見ている形になっている。
性典・カーマスートラを生み出した性に対しておおらかな信仰の教義が、弘法大師(こうぼうだいし/空海)の手で伝わったのである。
この性に対しておおらかな信仰の教義が、陰陽修験道師の手によって全国に喧伝され神道と集合して人身御供の儀式や男根神を祀る神社が出た。
自らの間違った正義感を満足させる為に、史実を「世間受けが良い適当な綺麗事」にしてしまう輩(やから)こそ「薄汚い精神の持ち主」と知るべきである。
【霊犬伝説「しゅけん」】に飛ぶ。
【霊犬伝説「しっぺい太郎(悉平太郎)」】に飛ぶ。
【霊犬伝説「鎮平犬」】に飛ぶ。
詳しくは【天狗(てんぐ)修験道と犬神・人身御供伝説】へ飛ぶ。
陰陽師起源の詳しくは、小論【陰陽師=国家諜報機関説】を参照下さい。
【日本の伝説リスト】に転載文章です。
◆【性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。
◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。
関連記事
【遥か世界の屋根に見る「夜這いのルーツ」】に飛ぶ。
【共生村社会(きょうせいむらしゃかい)】に飛ぶ。
【性欲本能と人類共生】に飛ぶ。
【擬似生殖行為】に飛ぶ。
【官人接待(かんじんせったい)と神前娼婦(しんぜんしょうふ)】に飛ぶ。
【北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)】に飛ぶ。
【地祇系(ちぎけい)神】に飛ぶ。
【氏神(うじがみ・氏上)】に飛ぶ。
【鳥居(とりい)】に飛ぶ。
【信仰の奇跡と脳科学】に飛ぶ。
【ハニートラップ(性を武器にする女スパイ)】に飛ぶ。
【真言宗当山派/東密・天台宗本山派/台密】に飛ぶ。
古事記・日本書紀に於けるエロチックな神話から人身御供伝説まで、桓武帝が修験道師を使ってまで仕掛け、「性におおらかな庶民意識」を創り上げた背景の理由は簡単な事で、為政者にとって見れば搾取する相手は多いほど良いのである。
【第四巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ】
<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。
未来狂 冗談の★公式HP(こうしきホームページ)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。
by mmcjiyodan | 2008-04-27 21:47