羽衣(はごろも)伝説の松(三保の松原と天女の舞)
ここに、「羽衣の松伝説」が残っている。
三保の松原浜には、その昔天女が舞い降り、浜で遊ぶ為にその羽衣をかけたとされる樹齢六百五十年ほどの老松が立っている。
海での遊びに夢中になり、漁師に羽衣を取られてしまい、天に帰る事が出来ない天女に羽衣を返す条件が、「天女の舞だった」と言われて居る。
天女は空を飛ぶ為に、羽の変わりに羽衣を纏(まと)う。
羽衣とは、蝉やトンボの羽のように薄く軽く透明に出来た薄絹で出来ている。
つまり、北辰伝説に拠る浜に舞い降りた天女は、建前は神の使いで、観音様や中東・西欧の女神同様に限りなく裸身だった。
現在の服飾における流行傾向にも通じるが、薄絹の衣は、女性を最高に引き立たせるアイテム(おしゃれ)である。
そして、当時、宝飾類以上に非常に高価な物だった。
平安期から鎌倉期にかけて流行した上流社会の「白拍子遊び」は、この天女・羽衣の巫女舞神楽をベースに、上流社会の「慰め遊び」として成立したもので、薄絹が採用されたのは、目的に添う極自然な要求からである。
余談だがこの天女光臨の話、長門国(山口県)における下松(くだまつ)市、光市、田布施町などの町々は、瀬戸内海に連なる北辰尊星妙見大菩薩(ほくしんそんじょうみょうけんだいぼさつ)と朝鮮半島、百済(くだら)の国の琳聖(りんしょう)太子の来朝帰化の伝承の地であり、浜と上陸関係が三保の松原と似ている。
この三保羽衣天女伝説、長門国(山口県)の琳聖(りんしょう)太子の来朝帰化の伝承ばかりでは無く、実は似たような話が全国に散見される。
鳥取県倉吉市仲ノ町 に在る小高い山「打吹山(うつぶきやま)」に、「打吹天女伝説(うつぶきてんにょでんせつ)」と言う三保羽衣天女伝説にほとんど同じ内容の伝説が在る。
その伝説に拠ると、昔、一人の男が東郷池の浅瀬で美しい天女が一人水浴びをしているのを発見し、男はこの世の者とは思えない美しい裸身の天女に恋をして近くに脱いで在った衣(羽衣)を隠してしまう。
羽衣を失って天に帰れない天女は、仕方なく男の女房になり二人の子を授かった。
授かった子もスクスクと成長し、親子四人が幸せに暮らして居たある日、天女は夫が隠していた羽衣を見つけてしまう。
天女が自分の体に羽衣を羽織って見ると、今まで在った親子の愛情はたちまち薄れ、子ども達を地上に残したまま天界に飛んで行った。
残された二人の子ども達は大いに悲しみ、近くの小高い山に登り、必死で笛を吹き太鼓を打ち鳴らし母親に呼び掛けるも、母親の天女は二度と地上には帰って来ない。
しかしその二人の子供の、笛を吹き太鼓を打ち鳴らしての母親への哀れな呼び掛けから、近くの小高い山は何時しか「打吹山(うつぶきやま) 」と呼ばれ伝説となった。
現在は北朝鮮に在る朝鮮半島の聖地・金剛山(クムガンサン)、その「九龍の滝」の上流に八つの淵があり「八人の天女が沐浴した」と言う天女伝説がある。
つまり日本列島の全国各地に存在する羽衣天女伝説も、基は朝鮮半島経由で伝わった外来伝説であり、琉球王朝の羽衣伝説にも二種類の同様の伝説がある事から、琉球島と朝鮮半島はいずれも中華大陸からの渡来伝承と推測できるできるのである。
【日本の伝説リスト】に転載文章です。
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