日本書紀(にほんしょき)
例えば、七百十二年編纂の古事記や七百二十年編纂の日本書紀は、かなり後世に編纂された物である。
古事記・日本書紀編纂には、百五十年も二百年も或いはそれより以前の出来事を、皇統の正統性を強調する歴史伝承として編纂され、作為的に事実を歪曲(わいきょく)してしまう綺麗事が多い。
明快に言ってしまえば、記紀神話(古事記・日本書紀)の伝説は「渡来氏族に依る日本列島経営の為の陰謀」なのだ。
七百二十年(養老四年)に完成した伝存最古の正史とされる日本書紀(にほんしょき、やまとぶみ)は、天武大王(てんむおおきみ/第四十代天皇)の皇子・舎人(とねり)親王を中心に奈良時代に成立した日本の歴史書である。
「日本書紀」の編纂を総裁した事で知られる舎人親王(とねりしんのう)は、舎人皇子(とねりのみこ)とも記される皇子で、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族である。
舎人親王(とねりしんのう)は、淳仁大王(じゅんにんおおきみ/第四十七代天皇)の父でもあり、諡号は崇道尽敬皇帝(すどうじんけいこうてい)を号す。
舎人親王(とねりしんのう)は長寿で、天武大王(てんむおおきみ/第四十代天皇)の諸皇子の中で最後まで生き残り、奈良時代初期に長屋王(ながやのおう)とともに皇親勢力として権勢を振るう。
日本書紀(にほんしょき、やまとぶみ)完成した七百二十年(養老四年)は、宮廷武官・大野東人(おおののあずまびと)が、東北蝦夷の反乱に征夷将軍として出兵、奥州(東北)統治の拠点として多賀柵(多賀城)を築いた年の事である。
これらの歴史書は、反面において、都合の悪い事を抹殺する目的を持っていた。
明らかに、葛城氏、物部氏、出雲系、吉備系、蝦夷(えみし)族は、万世一系の辻褄合わせの為に記録から抹殺されたのである。
この物語で度々使うフレーズだが、統治に於ける重要な要件は、その権力を持って情緒的・感性的ばイメージ(心像・形象・印象)を意図的に形成し、結果、異論を排除して思想を統一して行く事である。
その点で、古事記・日本書紀は正史では無く、明らかにそうした思想統一を意図したイメージ(心像・形象・印象)を形成する為のツール(道具)だった。
そうした「疑わしき古文書」の何を取り上げるかが、これからの研究者に掛かって来るのだ。
しかし大和朝廷は、現実の神社などを、その神話の裏付けに成る様に、見事に作り上げている。
古事記・日本書紀の大きな編纂目的に、桓武天皇(かんむてんのう・第五十代)の意志である「天皇(大王/おおきみ)の正当性」を殊更強調する為の「思惑が在っての事」と言う割引をしてかからない事には、古事記・日本書紀の記述内容を鵜呑みには受け取れない。
国家を形成する重要要件の一つが帰属意識(きぞくいしき)である。
人間には帰属意識(きぞくいしき)があり、その帰属意識(きぞくいしき)は人種(民族意識)だったり国(国民意識)だったり、同一宗教や勤務先企業だったりするのだが、その根底に在るのは「人間が群れ社会の生き物である」と言う極原始的な本能にある。
また、その帰属意識(きぞくいしき)の形成過程に影響を与えるのが、この「群れ社会の生き物」と言う原始的な帰属本能と「集団同調性(多数派同調)バイアス」と言う心理効果の利用である。
この集団同調性(多数派同調)バイアスに関してだが、多くの場合は宗教指導者や為政者、またはその両者が協力して「信仰心や民話の刷り込み」が応用され帰属意識(きぞくいしき)を醸成して行く事になる。
天武帝や桓武帝が進めた古事記・日本書紀の編纂とそれを広める陰陽修験道師の活動は、正に帝の下に国家を統一させる為の国策だった訳である。
数千年前の群れの長(おさ)から続いている事だが、統治者にしても宗教家にしても、本来の人間の能力には超常現象的に他人をひれ伏させるほどの大した差が在る訳ではない。
そこで、恐がらせたり尊敬させたりにはそれなりの作為や演出、つまり誇大な表現や奇跡創作に依る大衆に認めさせる為のカリスマ(超人)性の、「でっちあげ」の臭いは否めない。
しかし敢えて言えば、側坐核(そくざかく/脳部位)を満足させ心の安定を求める為に、そのカリスマ(超人)性に依頼心を抱く大衆も数が多いのである。
また、古事記・日本書紀に於けるエロチックな神話から人身御供伝説まで、桓武帝が修験道師を使ってまで仕掛け、「性におおらかな庶民意識」を創り上げた背景の理由は簡単な事で、為政者にとって見れば搾取する相手は多いほど良いのである。
天武大王(てんむおおきみ/天皇)が始めて桓武天皇(かんむてんのう)がほぼ編纂を締め括った壮大な歴史改ざんが文献が古事記・日本書紀である。
つまりそれ以前の渡来氏族を天孫降臨伝説で原住系のごとく誤魔化したもので、古事記・日本書紀の記述を基にどの天皇が原住系で、どの天皇が渡来系と線引きする歴史学者の考え方自体が、かなり怪しい。
古事記では、出雲の神々(初期渡来部族)を平定した天孫族から大国主が出現し、日本書紀では未開の野人の日本列島に、天孫族(氏族)が降臨した事に成って居る。
この食い違いを読むと、古事記編纂のグループが出雲の神々(初期渡来部族)の事にシイパシー(共感)を持って記述内容が集中している。
この事から、古事記編纂のグループと日本書紀編纂のグループは、同じ渡来部族で在っても大和朝廷(ヤマト王権)内の新旧の勢力を代表して編纂した史書の香りがした。
つまり我が国初期の正史書と伝える記紀(古事記・日本書紀)自体が、既に別の内容を記述しているのだ。
いずれにしても、「古事記・日本書紀編纂」の目的は皇統の神格化であるから、その目的の為に実史にアレンジを加えて成立させた物語である。
【古事記・日本書紀の皇統神格化疑惑】に続く。
参考小論・【天孫降(光)臨伝説と木花咲耶姫(このはなさくやひめ)】を参照下さい。
◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。
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【舎人親王(とねりしんのう)】に飛ぶ。
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