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天智大王(てんちおおきみ・中大兄皇子/葛城皇子)

中大兄皇子(なかえおおえのおうじ/天智大王/第三十八代天皇)は、舒明大王(じょめいおおきみ/第三十四代天皇)と、後の女帝・皇極大王(こうぎょくおおきみ/第三十五代女帝=斉明大王)との間に出来た子で、本来なら争う相手のいない世継ぎだった。

しかし、舒明大王(じょめいおおきみ)が急逝した時のバランスから、適当な後継者が居なかったので母が父の代の「次の天皇・皇極大王(こうぎょくおおきみ/第三十五代女帝)」として即位し、時の権力者、蘇我入鹿(そがのいるか)と愛人関係が出来てしまっていた。

中大兄皇子は、中臣鎌足(後の藤原鎌足)らと、乙巳の変(いっしのへん・おっしのへん)を起こし宮中で蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺する。

入鹿暗殺後、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は中臣鎌足(後の藤原鎌足)らと、蘇我氏一族の掃討に成功し、大臣(おおおみ)家・蘇我氏は衰退する。

この暗殺をきっかけに、皇極大王(こうぎょくおおきみ/第三十五代女帝)は退位し、その後には、皇極大王(こうぎょくおおきみ・天皇)の兄弟「軽皇子」を孝徳大王(こうとくおおきみ/第三十六代天皇)として即位させ、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は皇太子となる。

この時代、呉系の皇太子と呉系の中臣氏が実権を握ったので、任那復興、百済復興を画策するが、果たせなかった。

孝徳大王(こうとくおおきみ/第三十六代天皇)が亡くなると、退位していた母の皇極大王(こうぎょくおおきみ/第三十五代女帝)を再び担ぎ出し、名を斉明大王(さいめいおおきみ/第三十七代女帝)=皇極大王と改めて再び即位させ、皇太子を続ける。

同じ人物が、名前を変えて二度天皇?

中大兄皇子はよほど天皇にはならず、皇太子のままで、統治の実務を続けたかったのである。

斉明大王(さいめいおおきみ/天皇)が崩御すると、中大兄皇子は母の死後、代理を長く続け、八年後にようやく即位して天智大王(てんじおおきみ/第三十八代天皇)を名乗る。

尚、天智大王(てんじおおきみ/第三十八代天皇)は、大伴家持が個人的に編纂したとされる万葉集に作品が残る万葉歌人(まんようかじん)でもある。

天武天皇(てんむてんのう/大海人皇子)】に続く。

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by mmcjiyodan | 2008-04-28 03:11  

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