大地震(関東・東海・南海・東南海)連動型
この関東地方を襲った大地震は、「元禄大地震」と呼ばれ、マグニチュードは八・一と推定推定される大地震だった。
元禄大地震(げんろくだいじしん)は、後の、千九百二十三年(大正十二年)に発生した「関東大震災とは同型である」と解明されている。
甚大な被害を出したこの大地震で、元禄の好景気に沸いていた江戸府内周辺は、陰りを見せ始める。所が、一度の大地震でも大変な事なのに、徳川綱吉の不運は元禄大地震(げんろくだいじしん)だけでは終らなかった。
僅か三年後の千七百七年(宝永年間)、今度は東海道が我が国最大級の大地震「宝永大地震」に見舞われる。
宝永大地震は、現代に大警戒されている関東・東海・南海・東南海連動型地震で、遠州灘・紀州灘でマグニチュード八・四の「史上最大」と言われる巨大地震だった。
そして、だめ押しするように宝永大地震から四十五日目、今度は活火山・富士山の「宝永の大噴火」が始まり、山腹に宝永山と火口が出現した。
「宝永の大噴火」は、数日間江戸の街を薄暗く覆い、「市民の人心をも震撼せしめた」と伝えられている。
犬は神の使い(狼=大神)であり、確かに「生類憐みの令」は悪法だが、将軍在位中に次々と天変地異に見舞われれば、「何かの因果か?」と、徳川綱吉が迷信深くなるのも頷ける話しでは在る。関東・東海・南海・東南海連動型地震は、今でこそ百年~百五十年周期で連動発生する事で知られている。
元禄・宝永大地震から約百五十年後、幕末の機運が高まった安政年間(江戸時代後期)、世情不安をもたらす「天変地異」が立て続けに起こる。
千八百五十四年(嘉永七年/安政元年)、東海道地区で「安政東海地震(マグニチュード八・四の巨大地震)」、その僅か三十二時間後には「安政南海地震(これもマグニチュード八・四の巨大地震)」と、立て続けに発生して居る。
その翌年の千八百五十五年、今度は江戸府内および関八州一帯に被害をもたらした「安政の関東大地震(マグニチュード六・九)」が起きている。
この大地震を安政三大地震と言い、関東地震(関東)、東海(静岡県)、東南海(中京~南紀)、南海(南紀~四国)と、しばしば連動する(同時期または二~三年後に発生する)と言われ、「約百年~百五十年の周期で活動期に入る」とされている。
安政三大地震は、関東・東海の各地に甚大な被害をもたらせる。
まだ地震を科学的に理解する時代ではない江戸末期、天変地異は民心を不安ならしめ、幕府の権威失墜には大きな力になっても不思議ではない。
ちょうど、黒船でぺりーが来航した時期(千八百五十三年~四年の二回)と、この安政三大地震が重なるなど、幕府にとっては泣きっ面に蜂である。
この権威失墜に乗じて、反幕派による「尊皇攘夷運動」を引き起こし、千八百五十八年頃の「安政の大獄事件」にと、歴史の場面が移る事になる。
この関東・東海・南海・東南海連動型巨大地震に関しては、六百八十四年の飛鳥時代(あすかじだい)の記録以来、過去十数回の記録が残されている言わば地震の老舗(しにせ)みたいなものである。
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皇統と鵺の影人
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