平貞盛(たいらのさだもり)
平国香、平貞盛父子は平将門を討ち取るべく兵を出すが、平将門の返り討ちに合い父・国香を討ち取られ、その後子の平貞盛も戦いで破るが、危うい所で逃げ延びている。
言わば平国香、平貞盛父子は、平将門が関東を朝廷から独立させた「将門の乱(承平の乱/じょうへいのらん)」の動機を作った事に成る。
平将門は力を盛り返したが近隣の揉め事などの仲裁や朝廷との交渉を引き受けている間にその指導力欠如の朝廷とのいざこざ腹を立て坂東武士を結集、関八州に代官を配置し、「新皇」を名乗った事で平貞盛に平将門を討ち取る機会が巡って来た。
朝廷から、関東武士に将門追討の院宣が飛び、平貞盛(後の伊勢平氏)は押領使・藤原秀郷ら討伐軍と共に「猿島郡の北山」で平将門と対峙、その合戦で平将門は流れ矢に当たってあっけなく敗死、平貞盛は勝利を収めている。
平将門を討ち勝利した平貞盛の方で有るが、その後も地元の将門人気は強く、関東には居辛く成って、伊勢の国に移住する。
ここでも、相当強引に所領を獲得した様で、争いの記録は残っている。
この平貞盛(たいらのさだもり)の子孫が、伊勢平氏から平家を起こして武士では初めて太政大臣に任ぜられる栄華を極めた平清盛(たいらのきよもり)である。
【第二巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
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未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2008-04-28 06:51