田京(たきょう/伊豆の国市 田京)
田京(たきょう)一帯は、古くから伊豆の国(いずのくに)における「政治・文化の重要な場所であった」と言われており、この事を示す多くの古墳が残されている。
また、御門(みかど)から田京にかけては条理制(じょうりせい=大化の改新の際に行われた土地の区画法)の址も見られる。
我輩がこの「田京」を始めて訪れたのは「昭和四十八年の初夏の頃だった」と記憶を辿って思い出されるのだが、最初の印象は本当に何の変哲も無い田舎の私鉄(伊豆箱根鉄道駿豆線)の駅所在地で、古くから田京(たきょう)駅(1899年7月に開業)が設けられていた。
田京(たきょう)駅は、静岡県伊豆の国市田京にあり、伊豆長岡駅 と 大仁駅 の間に位置していたが、僅か数分歩くと田園が広がっていて近隣の長岡や 大仁と比べ駅前と名乗るにしては寂(さび)れている印象が当時は強かった。
そしてかれこれ四十年からの歳月を経ても、田京のその趣(おもむき)は今もさして変わらない。
その田京が日本の歴史に大きな意味がある土地で、その名・田京が「重要な意味を持った名前だ」と我輩が気が付いたのは、初めてその地を訪れてから凡そ二十年も経てからの事である。
我輩が本格的に歴史を調べていて、この「田京」と言う地味な集落の名にしては「随分上品な名」と気に止めたからである。
田京の隣には御門(みかど)の地名もある。
御門(みかど)は統一倭の国々の王(臣王/おみおう・大国主)の表記に使われていた。
田京の西正面に見えるのが、伊豆葛城山である。
葛城山は王城の山で有り、奈良飛鳥の西正面にも同じ葛城山がそびえている。
奈良県北葛城郡にある広瀬神社(廣瀬大社)と同じ名前の広瀬神社が、この伊豆の国(いずのくに)・大仁田京にもある。
伊豆大仁・田京が飛鳥京のモデル原点であれば、伊豆大仁・御門は新益京(あらましのみやこ/藤原京)、その北に位置する伊豆長岡は正に長岡京の原点、伊豆長岡・古奈は平城京(奈良の都)のモデル原点の可能性が出て来る。
田京の広瀬神社は延喜式内社(えんぎしきないしゃ)であり、「神階帳従一位(しんかいちょうじゅいちい)広瀬の明神」といわれる伊豆の広瀬神社の祭神は、溝姫命(みぞくいひめのみこと)外二神、田方一の大社で、かつては田地八町八反の御朱印(ごしゅいん)を頂く所であった。
事代主(ことしろぬし)神が「田の神様」であり、田の都が「田京」であれば、田京は事代主(ことしろぬし)神の都である。
そして事代主(ことしろぬし)神の実体が神武朝四代と深い血縁で結ばれた賀茂・葛城氏御門(葛城臣王)であれば、その本拠地は伊豆半島の「田京」を置いて他には考え難いのである。
詳しくは【葛城ミステリーと伊豆の国=伊都国(いとこく)説】に飛ぶ。
【大和(やまと)のまほろば(マホロバ)】に飛ぶ。
関連記述
【伊豆市・土肥と豊玉姫の由来】に飛ぶ。
【東伊豆町・稲取と奇祭・「どんつく祭」】に飛ぶ。
【下田・賀茂郡と伊古奈比咩命(いかなひめのみこと/白浜神社)】に飛ぶ。
【伊豆市・修善寺と独鈷の湯の由来】に飛ぶ。
【伊東祐親(いとうすけちか)と八重姫の悲話】に飛ぶ。
【伊豆の国長岡・あやめ御前と源頼政の物語】に飛ぶ。
【黄金の国ジパング】に飛ぶ。
【タウンゼント・ハリスと唐人お吉(斉藤きち)】に飛ぶ。
【第一巻】に飛ぶ。
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