戦艦大和症候群(せんかんやまとしょうこうぐん)
疑わしきは戦艦大和建造に代表される「決め事」に対する「己の保身の為」の頑なさで、一旦手を着けてしまったものは「見直さない」と言う「融通の利か無さ」や「担当責任の回避」が、【戦艦大和症候群】である。
「武士道を格好が良い」と想っている方と「戦艦大和が格好が良い」と想っている方が共通しているのは、表面的な格好良さだけを見ている事である。
武士道精神には建前の格好良さとは違う本音が存在し、戦艦大和にはその見かけの美しさにはそぐわない哀しい歴史が存在し、「戦艦大和症候群」なる言葉まで残った。
そもそも戦艦大和が完成した時は航空脅威の増大が予測し得た時期で、大和は既に時代遅れだった。
既に主流は航空戦の時代に入っていたのだ。
軍の上層部が既にそれを理解していたのは、端緒とした真珠湾攻撃作戦を航空機で実行した時点で海軍自ら実証している。
航空脅威の増大が予測し得たにも関わらず、戦艦大和の建造に変更は無かった。
それで、戦艦大和はさしたる戦果を上げる機会も無く、軍部の強引な特攻作戦「沖縄沖の海戦」でその命運を絶つ事になる。
この戦艦大和建造に付いて、「戦艦時代遅れ説」を後世の人々が指摘しているが、それを一歩踏み込んで考えて見た。
大和が建造された時は、大艦巨砲時代から「既に航空戦の時代に突入した」と言ったが、それなら船体を生かし砲塔を取り払って空母にすれば良かった。
しかし、日本人特有の融通の利かなさ(担当責任の回避)で、計画された物は変更無く作られる。
そしてその無用の長物は、三千余名の命を巻き添えにして轟沈した。
この、時代遅れな物を強引に進める融通の利か無さや担当責任の回避が、【戦艦大和症候群】である。
時代遅れになった無用なダム建設で予算を浪費する結果を招き、先頃の長野県知事(田中氏)と県議会議員のバトルを生んだ。
全国でこの手の、もはや時代遅れの国家事業計画が、今も進んでいる。
作地を減反しているしているのに、農地を増やす為の諫早湾干拓工事や、「人間が利用せず、鹿や熊が利用している。」と言う豪華なスーパー林道、利用者の利便性や採算も考えず面子だけで作る地方空港(静岡)など、その際たる物である。
そこに有るのは、「各省庁の縄張り意識」と言う、国家、国民の利害とは別の発想、「己の保身の為」があるからだ。
当然の事ながら戦艦大和の時代遅れの建造も、この類のお役所仕事感覚(海軍予算の継続的獲得)で作られ、それが「不幸な生涯を送る為だけにあった」のは歴史が証明している。
第二次世界大戦(太平洋戦争)の各方面作戦でも、この「縄張り意識や己の保身の弊害」が現地部隊将兵に悲惨な現実を押し付けたのである。
日本の建前主義の悪い所は、「建前を決める」と、それで「終った気に成る事」である。
この建前主義の弊害を、先の第二次大戦を「例に取る」と良く判る。
当時のリーダーは、一旦、建前上有っては成らない事を決め、それの履行を前提として「起こり得る問題」を、建前で簡単に切り捨ててしまった。
兵に教育したのは、「生きて虜囚(捕虜)の辱めは受けるな(捕虜に成るなら死ね)」だったから、建前、降伏して捕虜に成る者はいない。
捕虜に成る者が居ないのだから、降伏兵から「敵に情報が流れる事はない。」と言う論法で、本来危惧すべき事項(情報管理)を放置した。
こんな建前主義で、戦争に勝てる訳が無い。
せめて、「あれは建前だから」と言う「本音」が有れば良いのだが、「官僚主義(軍指導部も官僚である)」は前提を動かさないから、米国の尋問所に連れて行かれた日本軍の降伏兵から、あらゆる情報が尋問を通して相手国に伝わった。
暗号から装備兵器、軍艦や飛行機の見取り図、軍需工場の所在地など、あらゆる情報が流れる危惧を「無いものは無い」と建前に固執して放置し、なんら対策を取らなかった。
現在行政の指導不足で起こる不祥事の根底にあるのが、この終った気に成る「日本の建前主義」と「己の保身の為」の【戦艦大和症候群】である。
この「建前主義」は、官僚が手抜き(仕事をしない)の為の「絶好の言い分」に使われている。
学習機会が過去に数多く在ったにも関わらず、この国は未だに「建前主義の官僚の国」で、一旦決めた建前を前提に、強引に事を進め、「起こり得る危惧」は、「有ってはならない事だから検討をしない」と、為すべき義務を放置して押し通すのである。
嘆かわしい事に、日本の戦後六十年間は、この視点に於いて何の進歩も無かった事になる。
日本の歴史において「お上(おかみ)」は「神(かみ)」であり、「政事(まつりごと)」は「祭り事(祀り事・まつりごと)」と言う考え方がある。
当然ながらこの国の「帝(天皇・みかど)」は「お上(おかみ)」であり、「国主・領主」も「上様(うえさま)」である。
こうした物の本質にあるのが、官僚機構(長い歴史を持つ「お上意識」)であり、それを容認している民の側にも責任はある。
つまり民の大半は、思考を停止して「お上(おかみ)」に依存し、楽に生きる「ジュピター・コンプレックス(被支配の願望)」の方を選択して来た問題がある。
しかし、根本にあるのが、彼ら権力者のおごりで有り、国民に対する侮りである。
薬害エイズ、薬害C型肝炎と繰り返し発生する薬害問題も、役人の無責任な責任の回避の「放置」で被害が拡大した。
つまり、厚生労働省の薬害問題に対する姿勢には【戦艦大和症候群型】の疑いがあるのだ。
武士道の潔ぎ良さは「決め事」に対する潔ぎ良さで、最大の弊害に成っているのがこの【戦艦大和症候群型】である。
間違いを認める事は「恥ずべき事」であり、つまり一度決めた事には例え不都合が生じようとも強情を張り通して潔ぎ良く「面子」に殉じる。
国土交通省の官僚は、時代遅れに成ろうが一度決めた公共工事は何が何でもやり遂げようとし、厚生労働省の官僚は一度認可した薬品の不都合を中々認めない。
警察・検察も裁判官も、一度犯人と決めた被疑者は相当嫌疑があやふやに成っても自分達の間違いを認めようとはしない。
つまり根底にある深層心理が「間違ったらお仕舞いの切腹」であるから、過ちを認める潔ぎ良さではなく強情を張り通す「面子」に殉じる武士道の潔ぎ良さなのである。
【戦艦大和の英霊に捧ぐ・そして靖国】
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【第六巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
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未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2008-04-28 08:18