助さん・挌さん
祖父・正信の時初代藩主徳川頼房に仕え、水戸藩士の家と成る。
父・貞吉は儒学を好み、詩文をよくした学者の家である。
安積覚兵衛は朱舜水に師事。大番組、小納戸役と進み、彰考館編修、元禄六年には、彰考館総裁に任ぜられ、藩主・徳川光圀を助けて「大日本史の編纂」に主導的役割を果たした。
水戸藩士の佐々宗淳(通称、介三郎)・・・ 「助さん」は佐々宗淳(さっさむねあつ・介三郎)と言う徳川光圀の側近がモデルと言われている。
京都の臨済宗妙心寺の僧侶だったが、還俗して水戸藩に仕える。
光圀の下(もと)で彰考館に加わり、「大日本史の編纂」に携わっている。
戦国武将佐々成政の実姉の末裔(曾孫)であり、その縁から佐々姓を名乗っていた。
双方とも大日本史編纂には重要な役割を果たしたが、光圀側近で「光圀と諸国を旅した」と言う事実は無い。
関連記述
【水戸藩重臣・雑賀(鈴木)家の謎】に飛ぶ。
【第四巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
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未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2008-04-28 08:55