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スサノウ(須佐之男/須佐王)

そもそもの天岩戸伝説に拠ると、陸地を支配する「天照大神」が岩戸に籠もった原因は、海を支配する弟神、「須佐之男(スサノオ)の命(みこと)の度重なる悪行に拠る」とされている。

牛頭天皇(スサノオ)とも表記され、平穏な世界に災いをもたらす弟神、「須佐之男(スサノオ)の命(みこと)」は、何を暗示しているのか?

憶測であるが、多分、少し早く土着した農耕山岳部族(先住渡来民族・天の一族(天孫族)と言う加羅系族)と後から海を渡り来た進入部族(海洋民族・隼人族と言う呉系族)の「対立の構図」を表していると考えられる。

つまり、後続の海洋進入部族が、須佐之男(スサノウ)の一族と位置づけられはしないか?

天の一族の事を、天つ神(あまっかみ)とも言うが、それでは天の一族全てが神に成ってしまう。

その時代は、天(あま)は空と陸を意味していた。

従って天の一族(天孫族)は、陸を支配していた。

それに対し、海を支配する民族がいた。

詳しくは後述するが、この海の民(海洋民族)の呼び名が、熊襲(くまそ)であり、別名は隼人(はやと)である。

当初、互いは相容れない他民族で在ったのだ。

だからこそ、須佐之男(スサノオ)に海の支配は認めるが、陸の支配は認めない。

第一、天(あめ)の文字や比売(ひめ)の文字が付く神が多いなか、弟神の須佐之男(スサノオ)には付いていないのが、他人みたいではないか。

この須佐之男(スサノオ・須佐王)の正体であるが、日本の祇園信仰(ぎおんしんこう)は、京都の八坂神社を総本社とし、平安時代に成立した御霊信仰を背景に、仏教の神で、祇園精舎の守護神・牛頭天王(ゴヅテンノウ)及び神道の神・須佐王(スサノオ)を祭り、疫病に対する神仏習合の信仰である。

日本書紀」の所伝として記されている素戔嗚尊(須佐之男命/スサノオの命・須佐王)は、「新羅(シルラ)の曽尸茂利(ソンモリ)と言う地に居た」とされ、ソシモリは、ソシマリやソモリとも言う朝鮮(韓国)語で、牛頭(ゴヅ)または牛首を意味し、韓国には各地に牛頭山と言う名の山や牛頭(ゴヅ)の名の付いた島などの地名が存在する。

つまり、須佐王(スサノオ)は、朝鮮半島を経由して渡来した海洋部族王(海人族・呉族)だった事に成る。

海洋民族(隼人族)が侵入してくれば、先住民(天の一族/天孫族)の集落で暴れまわる。

そこで先住民族は太陽の神「天照大神」の元に団結して、海洋民族の侵入を防いだ。

その戦いは何百年と続き、「ジワリ、ジワリ」と海洋民族の居留地も増えて行く。

やがて、その既成事実の前に両者は共存の妥協を考える様になる。

何時までも、相争ってばかりは居られないのだ。

長い争いの後、やがて両者は和解(誓約/うけい)に至り、海洋民族も神の子孫と認める為の「宴の席」が、天の岩戸神楽であるのだろう。

その和解(誓約/うけい)こそが、暗い世が終わり、「平和の陽光が大地に戻った」瞬間である。

この目出たい席に、ストリップダンスが供されたとしても、不思議はない。

海洋民族は弟神・須佐之男(スサノオ)の子孫として認められる事で、先住民の仲間入りしたのではないだろうか。

この時から、「海の文字を(あま・あめ)とも読む様に成った」と考えたら、納得できる。

従って、高千穂及び岩戸の二つの神社は、天の一族と隼人族の和合のシンボルなのではないか。

異部族、異信仰が和合するのである。

それは性交をもって種が交じり合う誓約(うけい)と言う事実以外では平和目的が達成出来なかったのである。

そして誓約(うけい)の精神こそ民族和合と言う最大の政(祭り)事であり、シャーマニズムに満ちた神楽舞の真髄なのではないだろうか。

こうした神話は、血なまぐさい歴史を、復讐を繰り返さない為に、「建前の世界」に閉じ込めた祖先の知恵と言える。

古事記」によると、四世紀・古墳時代の前期の頃、大国小国の「国造(くにのみやつこ)を定めたまい」、また国々の堺、及び、大県(おおあがた)小県(おあがた)の「県主(あがたぬし)を定めたまう。」とある。

大国主(おおくにぬし)=大王(おおきみ)=帝(みかど)、国造(くにのみやつこ)=国主(くにぬし・こくしゅ)=国守(こくしゅ・くにかみ)、県造(あがたのみやっこ)=県主(あがたぬし)、郡造(こおりのみやっこ)=郡領(こおりのみやっこ)などが上げられるが、造(みやつこ)と言う名称から、ただの行政府(庁)ではなく、開発庁の役目も負っていた事が窺える。

この古墳時代の前期と言う初期の王朝が、それほど広範囲に支配が及んでいたとは考え難いので、服属させた大和王朝周辺の豪族を県主(あがたぬし)として任命把握し、県主(あがたぬし)によって支配される領域を県(あがた)と呼んだのではないだろうか。

それが国主(くにぬし)達の合意に拠る「倭の並立五王達」の合併で弾みが付き、西日本統一王朝(大和朝廷)へと膨らんだのではないだろうか?

そうなると、大国主は何人居ても不思議ではない。

宇佐岐(ウサギ)氏が、実は大国主に出世し、宇佐神宮を造営する事もあるだろうし、宇佐族や須佐族の王が、大国主を名乗っても良い事になる。

こうした発想を基に、断片的な状況を判断して行くと、古文書・伝承の中に、解き明かす手掛かりが、浮かんで来るのである。

宇佐神宮の宮司を勤める宇佐氏は、その地の土豪として永く栄えた家柄だが、宇佐岐(ウサギ)氏との関わりが濃厚である。

ここで浮かぶ疑問は、宇佐と須佐である。

この二つ、もしかすると「同一ではないのか」と言う疑問である。

或いは宇佐王が、神話の世界で三番目の神になる時、実際の宇佐では都合が悪いので「須佐王とした。」とも考えられ、中国(呉の国)式に、「是宇佐(うさです)」を発音すると「シーウサ」であるが、中国独特の巻き舌音では「スゥウサ」に聞こえ、それが呉国系の発音に成ると特に激しいのだ。

須佐王が中国福建省辺りからの呉族系渡来部族の長であれば、「是宇佐これ(うさ)なり」が福建語中国発音で「シゥウサ・スーウサ」となり、スサノウが是宇佐王(これはうさおうなり・須佐王/須佐之男)と発音されても違和感がない。

そして大国主(大王/おおきみ)が宇佐氏自身であれば、宇佐氏が有力国主(王)の和邇(わに)氏を従え大国主(大王/おおきみ)に成った経緯が「ワニ(鮫?)と因幡の白兎」の伝承であり、それであれば出雲大社宇佐神宮だけに共通する特異な「二礼、四拍手、一礼」の参拝作法(様式)が残っている理由が説明出来るのである。

尚、三兄妹・三貴神(ウズノミコ)である天照大神、月読命、スサノウ(須佐王)は、「記紀(古事記日本書紀)神話」に於ける「)」の伝承的存在である事を心して分けて扱うべきである。

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◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2008-04-28 17:52  

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