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静御前(しずかごぜん)

源義経の愛妾・静御前は、平安末期当時の高級遊び女・白拍子だった。

白拍子は遊び女と言っても、基本的に上流社会の男性を相手にしていたから当時としては相当高度な知識を持っていた。

同時に床技(性技)にも長けて居なければならない白拍子を、「誰が育てたのか」、考えた事があるだろうか?

実の所、静(しずか)には高位の権力者の相手が出来るだけの教養と芸妓術、性技術が備わっていた。

若い義経には、今まで出会った事の無い新鮮な女性に見え、彼はそれにコロリと参ってしまった。

静御前の性格は優しく何事も受動的で、その性格は彼女の性癖にも如実に現れていた。

源義経の愛妾・静御前は、源頼朝北条政子源範頼北条時政梶原景時等を始め、坂東武者とその妻女達の前で、白拍子舞の披露を命じられた。

この白拍子舞、テレビや映画で表現される優雅な舞ではない。

後世までその「エピソードが残る」と言う事は、「何か尋常ならない強烈な事実が存在した」と見るべきである。

状況的に条件が揃っていて、しかも静御前は都一の美女と謳われた白拍子だった。

このエピソードを優雅に描くと源頼朝の人となりが正確には表せないので、夢を壊して申し訳ないが現実を描写する。

永い流人生活で屈折して育った頼朝は、源氏の棟梁でありながら負け戦ばかりの体験で死の恐怖と戦いながら漸くここまで辿り着いた。

そうしたトラウマを持つ頼朝にとって、正直な所義経の愛妾・静は陰湿な愉快を提供してくれそうな存在だった。

静は自分に逆らった義経の愛妾で、これは自分に逆らえばどうなるかを御家人衆に知らしめる見せしめみたいな物だから、それは御家人衆の面前で「静に半裸で踊らせる」と言う効果的な恥をかかせねばならない。

今様神楽と呼ばれる白拍子の神楽舞の原点は、須佐之男の乱暴狼藉で「天の岩屋戸」に隠れてしまう天照大神が、天宇受売命(あめのうずめのみこと)のストリップダンスの賑わいにつられて「何事か?」と覗き見の隙間を開けさせた伝承に拠るもので、里神楽同様に伝承に即したストーリー性を持っていた。

従って今様神楽にはそうしたエロチックな部分が根幹を成していて、遊び女の白拍子舞はお座敷芸として殿方の人気を博していたのである。

つまり白拍子舞の基本は巫女神楽であり、巫女の身体は、本来天岩戸(あまのいわと)伝説の神楽の「天宇受売(あめのうずめ)の命(みこと)」の胸も女陰も露わなストリップダンスの様式を踏襲(とうしゅう)した「依(うつ)りしろ舞」である。

後に囚われの静御前が鎌倉の大舞台で、当節の「当世風白拍子の舞いを舞った」と言う事は、実は殿方相手に座敷で密かに舞うべき淫媚な遊び舞を、裸身が透ける当時としては相当豪華な薄絹衣装で公に舞うと言う「晒し者の屈辱を受けた」事になる。

これは、長い流人生活で鬱積した残忍な性格を持つ鎌倉殿(源頼朝)の仕置きである。

そもそも鎌倉中の御家人とその女房共を集めての八幡宮・白拍子舞の宴で、鎌倉殿(源頼朝)が「わしに逆らうとこうなるぞ」と、自らの力を御家人達に誇示するのが目的のあるから、半裸で舞を舞わせ晒し者にする義経の愛妾・静御前に憐憫の情や思い遣りなどある訳が無い。

目的が辱めであるから、静御前の鎌倉での舞は、最近の映像で再現される様な優雅な舞ではない。

記述した様に、有物扱いの私奴婢(しぬひ)の出身で、身分が低い白拍子が、身分の高い者が着用する袴の着用は赦されない。

身分の低い者の袴を着さない男装をして裸身を晒す「男舞」を踊る所にその真髄がある。

腰巻の上に重ねて着ける裾除(すそよ)けの蹴出(けだ)しは勿論、腰巻の普及さえ江戸期に入ってから武家や裕福な町人の間で始まった物で、時代考証としてこの鎌倉前期に衣の重ね着は在っても下着は無い。

それで白拍子の静御前が激しい男舞いを舞ったり、後の案土桃山期に歌舞伎踊りで出雲阿国が丈の短い幼子(ややこ)の衣装で踊れば着物の裾が乱れる結果は明らかで、つまり「見せて何ぼ」の娯楽だった。

娯楽の踊りに色気は付き物で、白拍子の「男舞い」にしても阿国歌舞伎の「幼子(ややこ)踊り」にしても、要は乱れた着物の裾から踊り手の太腿(ふともも)が拝める事で人気を呼んだのだ。

この狙いが、当時貴族社会「で白拍子」が流行った、必然的真実の所以(ゆえん)である。

静御前は、その屈辱的な舞を披露させられた挙句の果てには身ごもっていた義経の子を、男児と言う理由で出産と同時に鎌倉海岸の浜で殺されている。

話が少し脱線するが、この「静御前」の八幡宮舞の折、鼓(つづみ)を担当したのが、「楽曲に巧みな工藤祐経(くどうすけつね)だった」と言うエピソードがある。

頼朝主催の「富士の牧狩り」のおりに曽我兄弟に親の仇を討たれた、あの工藤祐経であった。

後ほど事の顛末(てんまつ)を示すが、この工藤祐経(くどうすけつね)暗殺事件は、源頼朝の弟・源範頼(みなもとのりより)の運命にまで波紋が広がる大事件だった。

遊女関連の詳しくは【遊女(女郎)の歴史】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2008-04-28 19:36  

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