真言宗(しんごんしゅう)
実は空海(くうかい/弘法大師・こうぼうだいし)と最澄(さいちょう/伝教大師・でんぎょうだいし)は帰国した時期に恵まれていた。
詳しくは、この章の「桓武帝と平安京」の記述で紹介するが、両大師が帰国した頃、ちょうど天智天皇(てんちてんのう)系の桓武天皇(かんむてんのう)が即位して、天武天皇(てんむてんのう)系の貴族や寺院の勢力を脱して自らの独自政権の確立を意図して居た。
為に桓武天皇(かんむてんのう)は、平安京の造営とともに天武天皇(てんむてんのう)系の寺院に対抗する意図を持って目を着けた帰国したばかりの空海(弘法大師)と最澄(伝教大師)の両大師に庇護を与えた。
つまりそうした政治情勢がなければ、空海(弘法大師)と最澄(伝教大師)の真言宗と天台宗の教義布教は遥かに苦戦したかも知れない。
空海の真言宗と最澄の天台宗は、時の桓武天皇(かんむてんのう)の意向を受けて天武大王(てんむおおきみ/天皇)が仕掛けた陰陽修験の取り込みを図り、真言宗当山派(東密)と天台宗本山派(台密)を創設して神仏習合の修験山伏組織を持つ。
そして禁止されたばかりの「北辰祭(妙見祭)」が、僅か十年余りでなし崩しに成った事もそうした政治情勢が背景に在ったからである。
弘法大師大師(空海)が持ち帰った真言密教は、桜の原種・ヒマラヤ桜と同様に中華帝国を経由して日本列島に伝わったネパールやブータン発祥の性文化そのものである。
空海(真言宗)や最澄(天台宗)が唐から伝えた経典の一部に、「密教」がある。
「密教」とは、「深遠な秘密の教え」の意味で日本では主として真言宗(東密)、天台宗の円仁、円珍(台密)と結び付いて発展した。
仏教の発祥はご存知インドであるが、実を言うとインドには「密教」と呼ぶ言葉や宗派はない。
金剛乗(ヴァジュラヤーナ)、或るいは大乗(マハーヤーナ)等が相当しそうだが、厳密には意味がかなり異なっていて「伝播の途中で変化したものと」考えられる。
大陸での修行を終えた弘法大師(空海)は、持ち帰った経典に重さを付ける為に「密教呪法」の存在を強調し、その呪法効果を期待させる事に成功する。
当時の日本の指導階層は血統を重んじる氏族で、世継ぎを得る為には多くの妾を抱える社会だったから凡そ禁欲的な教えでは受け入れられない。
弘法大師(空海)は、その教義の中で「人の世界の理性的な原因の世界」を肯定し、然る後に「密教呪法」に拠り仏の不思議な力で「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)出切る」としている。
その教えを秘密仏教、即ち「密教」と称し、教理と行に呪術的かつ具象的表現を伴う教義を成立させ、「潅頂(かんじょう)」と言う入門の密教儀式をしていない者に師の許しなく真言や行の内容を軽々しく教えを説き伝える事を禁止してこれに反する行為は大罪としてその自戒を三昧耶(さんまや)と呼んでいる。
この真言宗や天台宗の密教の教えと、日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、修験者(しゅげんじゃ)が生まれ、役小角(えんのおづぬ)を祖とし天台宗の本山派(天台山伏)、真言宗の当山派(真言山伏)などがある。
【真言宗当山派/東密・天台宗本山派/台密】に続く。
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