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厩戸皇子(うまやどのみこ/聖徳太子)は実在したか?

厩戸皇子(うまやどのみこ/聖徳太子)の異説を紹介して置く。

聖徳太子は、日本史において最も有名な皇太子の一人である。

しかしこの聖徳太子には様々な疑惑があり、歴史上の人物から「伝説上の人物」とされる傾向が強まっている。


聖徳太子は、仏教の祖とされるシャーキャ族の王(ラージャ/豪族)・ガウタマ・シュッドーダナの王子・ガウタマ・シッダールタ=釈迦(シャーキャ)のブッダ(仏陀)として悟りを開く前を模した事から誕生した「架空の人物」である。

或る意味に於いて聖徳太子の出現は、皇室の正統性と仏教布教の目的が一致した事で伝説化されたものである。

従って伝えられる王子・ガウタマ・シッダールタ=釈迦(シャーキャ)の逸話と聖徳太子の逸話は、信仰対象として相似形を為している。

しかしこの聖徳太子の存在は、仏教的要素が強い為に仏教関係者は頑として「架空の人物」とは認めず、その態度は歴史学的解明には枷(かせ)となっている。


簡単な話し、立太子した者は次期大王(おおきみ/天皇)であり、もし聖徳太子が実在の人物ならば聖徳太子が皇位に就いた事実が、理由も無しに無い事は説明が着かないのである。

まずは名前であるが、聖徳太子と言う名は生前に用いられた名称ではなく、没後百年以上を経て成立した「日本書紀」などの史料が初出とされ、つまりは充分に脚色が可能なのである。

聖徳太子と目される厩戸皇子(うまやどのみこ)の没後百年以上を経て成立した「日本書紀が聖徳太子の初出」と言う事は、作文した内容は天武天皇(てんむてんのう/第四十代)から桓武天皇(かんむてんのう/第五十代)にかけての編纂で、「和を持って尊し」を言ったのは桓武天皇の側近辺りの進言が採用されたのかも知れない。

日本史には虚と実が混在している。

「実(じつ/理性)」の現象で考えたら在り得ない「不思議な現象が起こった」とされる事が「虚(きょ/感性)」の現象で、それらの目的は特定の人物のカリスマ(超人)性を創造する事である。

その「虚(きょ/感性)」の現象が語り継がれると「神話や信仰の世界」なのだが、そう言う意味では、聖徳太子の存在も「虚(きょ/感性)の範疇に在る」と言える。

つまり憂うべきは、日本史の一般常識(じょうしき)とされる中に、「虚(きょ/感性)」の歴史が当たり前の様に混在し、入試試験やクイズ番組等で「正解」とされている事である。

正史では善政を伝えられるこの聖徳太子だが、本当に存在したのだろうか?

生前(リアルタイム)の名は厩戸皇子(うまやどのみこ)と言うのであるが、そもそもこの厩戸皇子(うまやどのみこ)生誕の下りがイエス・キリストの生誕伝承と余りにも似ている所から、「日本書紀」が西洋からの伝聞を借用して「創造された人物」との指摘が体勢を占めている。

恐らく皇統の善政を示して神格化を狙った「聖徳太子(厩戸皇子)の捏造」と思われる。

また、インド神話の財宝神クベーラを前身とするインド・ヒンドゥー教の神様に梵名・ヴァイシュラヴァナと呼ぶ神が居て、和名は毘沙門天(びしゃもんてん)である。

ヴァイシュラヴァナと言う称号は本来「ヴィシュラヴァス 神の息子」と言う意味で、彼の父親の名に由来するが、「良く聞く所の者」と言う意味にも解釈できる為、多聞天(たもんてん)とも訳される。

この多聞天(たもんてん)、どこか聖徳太子の「一度に多くの者の発言を聞き分ける」と言う超能力と似ては居まいか?

我輩は、多聞天(たもんてん/ヴァイシュラヴァナ神)をモデルにし、また経典に在る他の神々も取り入れて「聖徳太子と言う神格を創り挙げた」と睨んでいるが間違いだろうか?

この物語で度々使うフレーズだが、統治に於ける重要な要件は、その権力を持って情緒的・感性的ばイメージ(心像・形象・印象)を意図的に形成し、結果、異論を排除して思想を統一して行く事である。

聖徳太子はその最たるもので、明らかに皇統の優秀性を喧伝する創作上の人物だが、我輩が幾ら「聖徳太子は存在しない」と言った所で寺まで存在すると誰でも信じてしまう。

そしてその創作事実を知る者まで、「あれは信仰上の存在だから触れないで置こう」と言うのだから、イメージ(心像・形象・印象)が合意されてしまえば、虚像も実像になるのだ。

過っては我が国の最高額紙幣に使われたお馴染みの聖徳太子も、今や歴史上の人物から伝説上の人物へとその立場を変えつつある。

そうなると、「日本書紀」に虚構が含まれている事から、聖徳太子が「虚像である」とした場合、推古天皇(第三十三代・女帝)と蘇我馬子の男女関係から、「実像はもう一人の御門(みかど)蘇我馬子が厩戸皇子(うまやどのみこ/聖徳太子)では無かったのか」と言う疑惑もある?

その理由であるが、遣隋使(けんずいし)に託した国書の文言に「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す(「聞海西菩薩天子重興佛法」「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」)」とあり、自らを中華皇帝と対等の国家を代表する「天子=天皇」を名乗っている点である。

日本書紀その他の文献に拠ると、奈良・斑鳩(いかるが)の法隆寺は聖徳太子に拠って創建されたが、太子亡き後に政争に巻き込まれて太子一族は「六百三十余年頃に滅び」、法隆寺の伽藍は太子一族滅亡後に「火災で焼け落ちた」と伝えられ、子孫も含めその痕跡は跡形も無く消えている。

つまり現在の太子に関わる寺物・書物の類が、全て日本書紀編纂後の物ばかりに成る辻褄と符合する物語が出来上がっているのだ。

すると、その存在さえ確認されない聖徳太子は、人間では無く最初から人為的に神格を持たされてこの世に現れた「特異な存在だったのでは無いか」と疑われるのである。

確かに、聖徳太子を記述した古文書は多数存在する。

しかし公古文書には意図して事実を隠す為に書かれた物もある事から、別の古文書にポツリと浮き上がる「巧妙に構築した嘘」の感触は史実を追う上で重要な考慮点と成る。

つまり「巧妙に構築した嘘」と言う隠された事実が在りながら、架空とも思える「聖徳太子の存在」を安易に肯定してしまって良いものだろうか?

蘇我氏(そがうじ)は、蘇我入鹿(そがのいるか)の代に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・葛城皇子)中臣鎌足(藤原鎌足)らに宮中で襲われた乙巳の変(いっしのへん・おっしのへん)の変事に拠って討ち取られた。

そして蘇我氏(そがうじ)に「一族ことごとく討ち取られた」とされる「聖徳太子とその一族」が、没後百年以上を経て成立した「日本書紀」などの史料に「初出」と言う形で出現する。

つまり聖徳太子の出現は、蘇我氏(そがうじ)を殊更悪しき存在としてその後に起こった乙巳の変(いっしのへん)の変事を正当化するものである。

そうしたあらゆる周辺の情況を集積すると、「謎の聖徳太子を出現させ最後に蘇我氏が太子一族を攻め滅ぼす」と言うストーリーの裏側に垣間見えるのは、皇統の神秘的な優秀性を主張する目論見とともに「蘇我氏一族の功績」をも葬り去る意図を持っての「百五十年後の創作ではなかった」とは言い切れない。


聖徳太子は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・葛城皇子=天智大王/てんちおおきみ・第三十八代天皇)が、大化の改新(たいかのかいしん)と言うクーデターで「蘇我御門一門」を抹殺した事実を塗布隠ぺいする為に出現させた創作人物である。

なぜなら、「冠位十二階」と「十七条の憲法」の制定は、実は当時絶大な権力を挙握していた大臣・蘇我馬子(そがのうまこ)の手に拠るものではないかとの説がある。

その理由として、絶大な権力者・蘇我馬子(そがのうまこ)に冠位がない事が挙げられ、馬子(うまこ)は「冠位を授ける側の立場に在ったのではないか」と言う推測が成り立つのだ。

天智大王(てんちおおきみ/第三十八代天皇)が武力で滅亡させた「蘇我御門一門」が、功績を残していては都合が悪い。

つまり蘇我氏の政治的功績、冠位十二階や十七条の憲法の制定を蘇我氏でない純潔の皇統の人物の手柄に、無理やり置き換える必要が在った。

聖徳太子が陰謀で創作された「実在しない人物」であるからこそ、生前に太子は多くの奇跡を生み、太子一族は後裔も残さず痕跡も無く簡単に滅んで行った。


聖徳太子は皇位に就けなかったのではなく、存在しなかった。

存在しないからこそ当時の政治の中心・飛鳥に居住せず、斑鳩(いかるが)の里に住む謎の太子として日本史上に伝説として登場したのではないだろうか?

そうなれば、聖徳太子一族が「蘇我氏に滅ぼされた」と言う記述も「辻褄合わせ」と見る事ができるのである。

歴史の難しい所は、例え統治の都合で捏造されたものでも、永く伝承されると「文化の歴史」として存在する様になる事である。

つまり「史実の歴史」とは別に「文化としての歴史」は、信仰や伝説を通じて時の経過と伴に育ち、後世では確実に文化として存在して「全く無い事」と否定出来ないのだ。

例え聖徳太子が創造上の架空の人物で在っても、「文化としての歴史」では存在する事に成る。

只、この「史実の歴史」と「文化の歴史」は、違いを認識しながら扱って行かねば成らない事は言うまでも無い。

実は、古代ヘブライ(ユダヤ)の「失われた十支族」の日本列島渡来と言う「古代ヘブライ(ユダヤ)伝説」が存在する。

キリストの生誕を擬した「厩戸皇子(うまやどのみこ)=聖徳太子」の誕生逸話の酷似も、或いは古代ヘブライ(ユダヤ)の失われた十支族渡来説を立証するもので、古(いにしえ)の人々が「ユダヤ文化の伝承」を採った結果かも知れない。

尚、古事記・日本書紀の記述内容の怪しさは、欠史八代(けっしはちだい)と香殖稲(かえしね)からも立証できる。

いずれにしても、三兄妹・三貴神(ウズノミコ)である天照大神、月読命、スサノウ(須佐王)は、「記紀(古事記日本書紀)神話」に於ける「)」の伝承的存在である事を心し、この聖徳太子も含め分けて扱うべきである。

詳細は、小論・【聖徳太子は実在したか?その疑惑を追う】を参照下さい。

日本の伝説リスト】に転載文章です。

参考・関連小論【古代ヘブライ(ユダヤ)伝説・秋田美人とナニャドヤラ】はお薦めです。

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by mmcjiyodan | 2008-04-29 08:17  

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