氏姓制度(しせいせいど・ウヂカバネせいど)
思い出して欲しいが、征服者と被征服者の違いが「明治維新まで」は氏(うじ)と姓(かばね)で直ぐに判る仕組みだった。
古代日本に於いて、中央貴族や地方豪族が、国家(ヤマト王権)に対する貢献度、朝廷政治上に占める地位に応じて、朝廷より地位を表す氏(ウヂ)の名と姓(カバネ)の名とを授与され、その特権的地位を世襲した制度を氏姓制度(しせいせいど)と呼ぶ。
五世紀頃から始まったその制度は「氏姓制(ウヂ・カバネせい)」とも言い、「氏(ウヂ)・姓(カバネ)」を音読して「氏姓(しせい)制」とも言う。
大化の改新後、大和朝廷(ヤマト王権)が律令国家の形成に及ぶと、戸籍制に拠って、氏姓(ウヂカバネ)はかつての部民(べみん/渡来部族)、つまり百姓階層にまで拡大され全ての階層の国家身分を表示するものとなった。
この戸籍制に拠って、氏姓(ウヂカバネ)を有しない者は大王(おおきみ/天皇)を始めとする皇族と被差別階級の賤民(せんみん)奴婢(ぬひ)階層のみとなった。
但しこの戸籍制に拠って人口の大半が氏姓(ウヂカバネ)を有したと解されるのは誤解で、該当者は実質総人口の一割程度だったと推測される。
氏(うじ)と姓(かばね)は、征服王の神々の子孫しか名乗らせない。
被征服者の農業従事者(使役農民)や漁業従事者(使役漁師)の生活環境は村里集落であり、身分はその地名に住む誰々(山里村のゴンベイ)で苗字に当るものは無いので有る。
何故なら、苗字の語源が土地の所有(支配権)を意味していたからである。
氏(うじ)は同じ祖先をもつ家族の集団、つまり血の繋がりによって成り立つ同族の集団である。
問題なのは、この氏(うじ)族、実は天孫族を名乗る征服部族で、好戦的な戦人天孫族(いくさびとてんそんぞく)がその「恐怖の大王達」の正体だった事である。
大化改新以前では、この氏(うじ)による集団が、社会的にも政治的にも基礎となる集団だった。
その統率者を氏上(うじかみ)と呼んだ。
この入植集団の守り神が氏神様となる。
姓(かばね)は氏に付いてその職掌・家格や尊卑を表わす呼称である。
氏を基礎単位として、それを姓によって秩序づけたのが、所謂(いわゆる)「氏姓制度」であり、大化以前の大和連合政権の支配形態であった。
この姓(かばね)が曲者で、大王(おおきみ・天皇)から認められた血統の家格を表す制度だが、その家格がそのまま長期に渡り、その一族の身分を保証するシステムだったのである。
この氏姓制度と陰陽修験のシステムが確りと生き残り、千年の時空を隔てて、まさか、明治維新の時点に「鮮やかによみがえる」とは、誰も想像出来ない事に違いないだろう。
しかし、そこに日本史の真実があった。
つまり現在があるのは、過去があっての事で、この物語はそれを書き綴る時空の旅である。
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