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呉服とノーパンティ文化(和服のルーツ)

日本の文化は、ノーパンティ文化である。

日本女性の性意識は、穿く下着(ショーツ・パンティ)の着用で大きく変化した。

勿論、明治新政府成立以後の急速な欧米化路線は、おおらかだった日本人の性意識を折に触れて変革させようと多くの禁令を乱発した事も事実で、性意識におおらかだった陰陽道や、暗闇祭りの性風俗の禁止などである。

しかしそれ以上に、穿く下着(ショーツ・パンティ)の着用でガードした事が、日本女性の性意識を劇的に変えたのである。

昭和の十五年頃まで、日本女性には永い事ショーツ・パンティ様式の「穿く下着」を身に着ける習慣は無かった。

下着(ショーツ・パンティ)の着用が普及した時期は、千九百三十二年(昭和七年)の白木屋の火事で、確かに新聞の論説では「下着未着用の恥じらいの余り多数の女性が焼死した」と評される例の事件は、話題には成ったが実際には女性が一斉にパンツを穿く契機には成っていない。

時代的に一斉に穿く下着ショーツ・パンティ類を穿くのは先の大戦(太平洋戦争)の戦時中に、もんぺの下着として「ズロース」と呼ばれて普及した事が正解である。

劇的に変化したのは日本女性の性意識だけではない。

男性の性意識も、女性の穿く下着(ショーツ・パンティ)の着用で大きく変化した。

本末転倒な事に、中には女性の穿く下着(ショーツ・パンティ)の方に性的興味や性的興奮を覚える性としては邪道の感性を持った男性まで現れたのである。

本来日本の女性は、今で言うノーパンティが普通だった。

「呉服」に「腰巻」が普通の衣装だったからで、この着物は和服またはルーツを取って「呉服」と言う。

三国史時代の中国・呉の国(蘇州・杭州)で作られた服装様式が、呉人と伴に日本列島に移り住んでその服装様式が渡って来た。

現在の 江蘇省(蘇州) 昆山市は呉の中心地で「日本の着物(呉服)のルーツ」と言われている。

その「腰巻」だが、厳密に言うと安土・桃山期~江戸時代以前の高級武家女性の夏の正装として使用が始まり、江戸期~明治維新以後昭和初期以前には、現在の穿く下着(ショーツ・パンティ)の代わりとして広く着用されていた。

気をつけて欲しいのは、高級武家女性の間で「腰巻」が使用され始めたのが安土・桃山期であり、それまでは存在すら無かった事で、「腰巻」が一般的に使用されるようになったのは江戸期以後である。

つまり庶民は、江戸期までは「腰巻」さえ着用しなかったし、農漁村では江戸期もかなり後になってから漸く普及したのが腰巻使用の実体である。

数え年の十三歳を迎えた正月に祝った「腰巻祝い」の風習が文献に残っているが、あくまでも武家や裕福な町家、裕福な豪農の娘達の祝い事だった。

従って町場ならともかく農漁村の村娘の腰巻着用場面のある時代劇は間違いである。

何もミニ丈ファッションは洋風が元祖ではない。

農漁村の娘は、ノーパンティに「腰巻」さえ着用して居ず、おまけに水田に入る事から丈が短い野良着姿が通常の服装であった。

野良着姿は木綿紬(つむぎ)の一重(ひとえ)か二重合わせの着流しで、水田作業の時は膝ぐらいまで裾をシッ端折(パショ)りして作業をする。

普段でもそんな服装だから、野良着のすそが肌けて女陰が露出するケースが日常的で余り気にしては居ず、女陰が人目に晒される事に対する羞恥心は、当時の娘には「随分と薄かった」と考えられる。

股間が自由空間である開放的な服装は風俗に影響を与え、同時に日本では「女の性欲」が否定される事がなかったから奔放に性を楽しめた。

暗闇祭り(くらやみまつり)に於ける不特定多数の性交が可能だった背景には、それなりの庶民的な性規範の存在と同時に開放的なノーパン着物文化が大きく貢献したのかも知れない。

何しろ手探りで着物を捲くりあげれば事足りるのだから、相手の顔が見えない暗闇の方が後腐れがない一時の神の恵みの歓喜なのだから。

何しろ女神様天の岩戸の前でストリップを踊る誓約(うけい)の国である。

日本人は歴史の大半を通じて性にたいへん寛大で、開国当時日本に来日したキリスト教国の欧米人が仰天したほどに性に開放的で、肯定的に「あけっぴろげ」な国はなかった。

不義密通は氏族の文化であり、卑猥な文化が繁栄した庶民には無縁のものだったのである。

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◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。

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by mmcjiyodan | 2008-04-29 11:06  

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