好太王(広開土王)顕彰碑
この「広域倭の国論」、半島側と列島側双方の頭の固い学者が、あくまでも「倭の国列島説」を主張している。
この「倭の国列島説」から、高句麗第十九・代好太王(こうたいおう・広開土王・クァンゲトワン/在位三百九十一年~四百十二年)の「好太王顕彰碑」における墨水廓填本(ぼくすいかくてんぼん/拓本)の内容について、史実を反映していない為に、旧日本軍による碑文すり替え説や事実を隠蔽する為の「石灰塗布作戦」と言った論争が繰り広げられている。
好太王顕彰碑に拠ると、当時高句麗軍の南面方面の最大の敵は、倭と呼ばれていた当時の列島側(大和朝廷)からの「派遣軍」と言う事に成っている。
つまり、当時の倭(列島側/大和朝廷)は強い勢力を持ち、百済(くだら・ペクチェ)と新羅(しらぎ・シルラ)を武力制圧して配下に押さえ、その派遣軍は新羅の王都・慶州を占拠したり、帯方軍の故地まで侵入して高句麗(こうくり・コグリョ)軍と戦った事に成っているのである。
所が、この時期に、列島側(大和朝廷)が「朝鮮半島に軍を派遣した」と言う事実はなく、碑文の解釈、さらには碑の文字に「何んらかの問題がある」とする説が提起されている。
碑文の解釈が「倭の国列島説」に符合しないから強引に「陰謀説」で辻褄合わせをするのだが、「広域倭の国論」であれば、充分に符合するのである。
何故なら、「広域倭の国論」であれば百済(くだら・ペクチェ)も新羅(しらぎ・シルラ)も「半島側の倭の国」だったからである。
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