源平の歴史
この時将門側に付き、敗れた後、郷士として関東に土着した平氏の武士達は、源氏の関東進出や東北進出で源氏の歴代棟梁と結んだ。
彼ら関東平氏は、前述した奥州での前九年の役や後三年の役で、源氏の棟梁源頼義・義家親子の配下に組み込まれて、源氏とは深い関わりを持つ様に成る。
従って、平氏姓ではあるが、中央の伊勢平氏系平姓(平家)より関東の源氏の方が、絆が強かったのだ。
関東の平氏には、それ成りに源氏を助ける歴史的要素が有ったと言える。
その、関東系「平氏」が、源頼朝の軍勢の大半をしめていた。
つまり、源平と言うよりも、「関西対関東、中央対地方」の戦いが、真相である。
つまり、時代と地の利を得たのが頼朝であった。
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皇統と鵺の影人
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未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2008-04-29 13:17