菊池武重(きくちたけしげ)
鎌倉時代後期、菊池武重(きくちたけしげ)の父・菊池武時は討幕運動に賛同して九州における北条氏勢力である鎮西探題の北条英時を攻めるが、英時に加勢した少弐氏や大友氏により討たれてしまう。
その後も菊池氏一族は後醍醐帝に助力、建武の新政に参加する。
しかし、鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇により開始された建武の新政から足利尊氏が離反し、一時後醍醐帝方に京都を追われた尊氏は九州へ逃れた時、少弐貞経の子の少弐頼尚が赤間関へ尊氏を迎えるために赴いたのに対して、後醍醐帝(宮方)勢力であった菊池武敏は大宰府を攻めて少弐貞経を滅ぼす。
その後の千三百三十五年(建武二年)、菊池武時の子・武重が新田義貞陣営に加わり足利勢の足利直義と箱根・竹ノ下に対峙、有名な「菊池千本槍(きくちせんぼんやり)」の奇功を成功させる。
この菊池千本槍が、後の戦法に大きな影響を残す新型の戦法である。
詳しくは【元弘の乱(げんこうのらん)と鎌倉幕府滅亡】に飛ぶ。
参考リスト【正中(しょうちゅう)の変から室町幕府成立までの主な登場人物と主な出来事】<=クリックがお薦めです。
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皇統と鵺の影人
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未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2008-04-29 15:00