木曽義仲(きそよしなか)
木曽(源)義仲は文武に厚く、肉親の情や回りの者への情けもあった。
木曽次郎・源義仲は、源頼朝の従弟(いとこ)に当たる。
この時代にしては大柄な体格で見るからに無骨者で強そうだったが、心は純朴な田舎育ちの好青年だった。
木曽義仲は、源為義の孫にあたる源義賢の子で、幼名を「駒王丸」と言った。
武蔵(むさし・今の埼玉県)の国で生まれたが、父の死で落ち延び、木曽(長野県)で育ったので、「木曽(源)義仲」と言う。
義仲が信州(信濃の国)木曽で旗揚げしたのも、勝手にした訳ではない。
以仁王(もちひとおう)の平家追討の命令書、令旨(りょうじ)が届いたからである。
挙兵した以仁王(もちひとおう)が平家に討たれ、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護した義仲が、木曽で旗揚げする。
木曽義仲が旗揚げすると、平家は、平清盛の息子平維盛(たいらのこれもり)と甥の平通盛(たいらのみちもり)を大将に、追討軍十万の大軍勢を編成、越前で両軍は激突する。
しかし、山間部の戦いに慣れた義仲軍に、贅沢な都生活で軟弱公家化していた平氏軍は全く歯が立たず、倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで敗退する。
この山岳戦、後白河上皇の命を受けた勘解由小路吉次の手の者が支援していれば、彼らは山になれた修験山伏で、結果は最初から見えていた。
その勢いで義仲軍は平氏の大軍を破って押し進み二ヵ月後には京に到達、上洛する。
義仲もまた、源義経張りの戦上手(いくさじょうず)で、平家は持ち堪える事が出来ず京の都を明け渡してしまう。
この時平家は、都落ちに際して安徳天皇は勿論、後白河上皇など、朝廷諸共を奉じてあくまでも「正規の政権の体裁を整えよう」と謀った。
しかし、勘解由小路党の手の者により、この「平氏の都落ち」から身を隠して逃れた後白河上皇は、「平氏を賊軍」と宣言してしまう。
馴染みの、天皇側と上皇側の二手に分かれての争いの構図が、建前上またも出来上がったのだ。
この後白河上皇(法王)が、平家の都落ちから逃れられたのには、皇統直属の影の組織、勘解由小路党が活躍した。
彼ら勘解由小路党は、平家を嫌っていた。
平家の後白河上皇(法王)に対する考え方が赦せなかったのだ。
千百八十三年(寿永二年)夏、平家が木曾義仲に都を追われ安徳天皇を連れて西国に落ちた時に、土御門(源)通親(つちみかど・みなもとの・みちちか)は比叡山に避難した後白河法皇に同行し、平家との訣別を表明した。
その後土御門(源)通親は、木曾義仲の入京と没落などを経て、後白河法皇が新たに立てた新帝後鳥羽天皇の乳母であった藤原(高倉)範子、続いて前摂政松殿師家の姉で木曾義仲の側室(正室説あるも、疑わしい)であった藤原伊子(ふじわらのいし)を側室に迎えて曹洞宗開祖・道元を生んでいる。
これによって土御門(源)通親は、新帝・後鳥羽天皇の後見人の地位を手に入れる一方で法皇の近臣としての立場を確立し、新元号「元暦」選定などで、平家や義仲によって失墜させられた後白河院政の再建を担う事になった。
後鳥羽天皇は、後白河法皇の孫で高倉天皇の第四皇子、母は従三位坊門信隆の娘七条院殖子で、安徳天皇とは異母弟になる。
逃れた後白河上皇(法王)は進攻して来た木曾義仲に保護される。
木曽義仲は、京の町で、朝日将軍と呼ばれ、一時後白河上皇から「征夷大将軍」の位も授かっている。
しかし悲劇はすぐにやって来る。
遠く関東に在って義仲の都制圧成功にあせったのが、源頼朝と北条政子の野望カップルである。
このままでは従弟の義仲に、良い所を持って行かれてしまう。
処が、真に頼朝に都合よく、絶好の機会が訪れる。
後白河上皇の存在である。
「院政復活」をもくろむ後白河上皇は、平清盛の孫である安徳天皇を廃し、自分の意思で次期天皇を決めようとして擁立する次期天皇の人選で義仲と意見が対立する。
義仲は純真な発想で、令旨を発して自分にこのチャンスを作ってくれた、「亡き以仁王(もちひとおう)の遺児北陸宮(ほくりくのみや)こそ、次期天皇にふさわしい」と思ったのだ。
しかし、後白河上皇は権力の集中を危ぶみ、義仲将軍主導の天皇選びを嫌って「ウン」とは言わない。
結局、義仲が折れるのだが、この一件で、後白河上皇は義仲を嫌ってしまう。
勘解由小路党の機能が発揮され、後白河上皇の意向が鎌倉に伝えられ、出遅れた頼朝は「しめた。」と小躍りをする。
ここで後白河上皇と鎌倉の源頼朝、両者の利害が一致、一つの「謀略的筋書き」が出来上がった。
義仲が、後白河上皇の平家打倒の命を受け、京を離れた隙に、源範頼、義経の頼朝軍に京を占拠され、見事「逆賊」にされてしまった。
計算された陰謀である。
義仲は源氏の同士討ちを嫌い、何度も頼朝軍に恭順の意を表しているが、頼朝は聞き入れなかった。
それで、頼朝夫婦の「従弟殺し」が始まるのだ。
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