掛ける
我が国では、四足動物を人為的に交尾繁殖させる行為を【掛ける】と言う。
この【掛ける】の語源であるが、歌垣の語源は「歌掛け」であり、夜這いも「呼ばう(声掛け)」である。
また異説では、交尾を意味する「掛ける」の語源は、神懸(かみがか)りの「懸ける」から来ていると言う説もある。
つまり陰陽呪詛の信仰に於いて交尾や性交は生命を宿る為の呪詛儀式と捉えていて、その行為は「女性を神懸(かみがか)らせる事」と言う認識である。
何処までが本気で何処までが方便かはその時代の人々に聞いて見なければ判らないが、五穀豊穣や子孫繁栄の願いを込める名目の呪詛(じゅそ)として、巫女の神前性交行事が神殿で執り行われていた。
こちらは曲亭(滝沢)馬琴の「南総里見八犬伝」の話であるが、「走る」の意味も「駆ける」であるが、当てる字が違う。
伏姫はフィクションで実在しないので、誰か女性が、忌み祓いの為に、犬を「掛けられた」と言う「昔話(伝承)が存在した」と解釈するのが妥当である。
勿論「南総里見八犬伝」は滝沢馬琴の創作小説であるが、その題材の基に成った妙見信仰の伝承が在り、その伝承の地が安房の「犬掛」だったのでは無いだろうか?
そうなると、昔話の方は修験山伏の仕事と解釈するのが妥当である。
しかしこの獣姦、現代の感覚で考えてはいけない。
山犬は大神(狼)であり、犬公方と言われた五代将軍・徳川綱吉により、「生類哀れみの令」が発布される時代だった。
つまり、神の子を宿す神聖な呪詛である。
しかも、あくまでも伝承であり、現実には修験山伏の行者の仕業なのである。
「犬掛」は当主・里見義豊が叔父(父の弟実堯)の長男・里見義堯との家督相続の戦いに破れ、自刃した不吉な古戦場跡で、鬼門の方角に当る。
今以上に信心深い時代の事である。鬼門封じの呪詛を、里見家が修験道に命じて、密かに執り行った可能性は棄てきれない。
或いは曲亭(滝沢)馬琴が、その土地に密かに伝わる「人身御供伝説の噂」を参考に、作品に取り入れた可能性も棄てきれないのである。
つまり、曲亭(滝沢)馬琴の南総里見八犬伝は、山犬(狼=大神)信仰と人身御供伝説を江戸時代の当世風にアレンジした小説である。
曲亭(滝沢)馬琴の里見八犬伝の「八」は、日本古来の信仰から「八」を導いている。
八犬伝(八剣士)であり、犬の名は八房である。
日本の神話のキーワードは「八」と言う数字である。また、犬に関わる人身御供伝説は、日本全国に数多く存在する。神話の伝承によると、スサノオ(須佐王)には、八人の子がいる事に成っている。
大八州(おおやしま・日本列島)、八百万(やおよろず)の神、八頭(やあたま)のおろち、八幡(はちまん)神、そしてスサノオの八人の子、つまり、子が八人だったので「八」にこだわるのか、「八」が大事なので無理やり八人の子にしたのか。
恐らく、「八」と「犬」に特別な意味合いが有るから「八犬伝」であり、他の数字では在り得なかったのだ。
【天狗(てんぐ)修験道と犬神・人身御供伝説】に飛ぶ。
また【人身御供(ひとみごくう)・掛ける】の項も参照して下さい。
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