陰陽寮(おんみょうりょう)
八世紀(平安初期)の始め、ちょうど弘法大師(空海)と伝教大師(最澄)が仏教修行に行っていた唐(中国)から帰って来た頃、時を同じくして桓武天皇(第五十代)により「陰陽寮(おんみょうりょう)」が設置される。
この事は、偶然だろうか?
いや、明らかに大和朝廷はこれを「統治に利用しよう」と考えたのである。
宗教を政治に利用したり権力維持に利用するのは当然の発想である。
先の大戦(大西洋戦争)時戦争遂行の為に「戦死したら靖国神社靖国神社で神として祀られる」とまさに神を利用して国民に刷り込み教育をした事例もある。
それで、国際紛争や反乱や特攻・自爆テロも興る。
日本で「キリスタン弾圧・島原の乱」と伝えられ通常解釈して居る事を解説すると、国家の「国策植民地化に宗教を利用している」と言う裏の現実が存在するから表面だけの解釈はお勧め出来ない。
スペイン(イスパニア)国王の布教資金支援されたイエスズ会の宣教師が熱心な布教活動をした狙いは「布教地の植民地化」と言う狙いの投資が在ったからで、当時の徳川政権が目的を見破り禁教弾圧したのは無理からぬところである。
律令に基づく八つの省からなる中央官庁のうち 天皇と直結する行政の中枢である「中務省」に、陰陽寮は設置された。
この陰陽寮が属している中務省は 天皇とその政に関する仕事を受け持つ所で、言わば天皇直属の機関である。
当然ながら、それに付する「陰陽寮」も例外ではない。
つまり、密教と陰陽修験(日本古来の山岳信仰・神道)が結びついたのは、「自然の流れ」と言うよりも、「統治者の意図に由来するもの」と考えられるのである。
「陰陽寮」は配下に陰陽道、天文道、暦道を置き、それぞれに吉凶の判断、天文の観察、暦の作成の管理を行わせた。
また、令では僧侶が天文や災異瑞祥を説く事を禁じ、陰陽師の国家管理への独占が謀られた。
つまり僧侶・神主(宮司)が各自の解釈で説く事の混乱を避け、恐れに対する対策の呪術を陰陽師に一本化したのだ。
当然、当時の国家プロジエクト的建造物の設計や財政出費などの「有無を言わせない裏付け」として、吉凶の御託宣は利用された。
確かに、神の仰せなら逆らえないからである。
陰陽師起源の詳しくは、小論【陰陽師=国家諜報機関説】を参照下さい。
関連小論【賀茂忠行(勘解由小路家)と安部晴明(土御門家)の謎】を参照下さい。
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