氏神(うじがみ・氏上)=鎮守神(ちんじゅしん)
総論的に解説すれば、渡来氏族と縄文人(蝦夷族)が日本列島で同居し、支配階級の氏族と被支配階級の縄文人(蝦夷族)が構成された。
日本列島に渡り来た渡来部族の長は大和政権の認定を受け「氏」を名乗り支配者身分であることを世間で明確にした。
渡来部族の長は占領地の統治の根拠を説得する為に神を名乗り絶対権力を握り根拠にした。
宗教を政治に利用したり権力維持に利用するのは当然の発想である。
先の大戦(大西洋戦争)時戦争遂行の為に「戦死したら靖国神社靖国神社で神として祀られる」とまさに神を利用して国民に刷り込み教育をした事例もある。
この段取りで渡来部族の長は絶対権力を握り神の住まいを設置し被支配者に「氏神様」と呼ばした。
「氏神様」の神事の中に政(マツリゴト・祭事 政治)=誓約(うけい)の性事があり、神前性交の常識習慣が残った。
その渡来氏族と縄文人(蝦夷族)が同化の過程を経て弥生時代と呼ばれる時代が成立するのだが、その同化過程の中で渡来部族の先進文明は縄文人(蝦夷族)の文化を駆逐して行くのだ。
氏神は地域の守り神で、鎮守様とも言う。
成立したばかりの大和朝廷(ヤマト王権)は地方を掌握する為に細かく鎮守を派遣し、赴任して来た氏一族がその地を管理した。
つまり鎮守神も氏神の別称だが、中央の大和朝廷(ヤマト王権)からその地の鎮守を委任されて赴任して来た氏一族が、紛争の仲裁などして地方を掌握して行く。
赴任して来た氏族が、そうした地方運営に成功してあがめ祀(まつ)られて鎮守様・氏神様と神格化した。
それが鎮守様・氏神様の起源である。
皇族も神社も「宮」である。
当初村の鎮守の神様は、占領軍の入植地に設けた氏族の氏神(征服者の祖先を祭る)であり、被征服者は氏子ではない。
鎮守様は入植者氏族の氏長(氏上)自身の役職名「鎮守」であり、鎮守神社は、被征服者(蝦夷族)に征服者氏族を畏怖させ、ひれ伏させる為の政治的布教活動の拠点であり、鎮守社は砦でもあった。
この古代征服者が祀る神・征服者が祀られる神を総称して、「地祇系(ちぎけい)神」と学問的に提起されている。
古代豪族の地祇系神に関しては、出雲系を指す神を地祇系神とする説があるが、天孫降臨伝説の天神系も渡来古代豪族であるから、地祇系(ちぎけい)神の定義は渡来部族入植地の鎮守神・氏長(氏上)=氏神が相応しいのではないだろうか?
氏神は氏上であり神主(かみぬし=かんぬし)なのだ。神(かみ)は日本語で「しん」とも発音するが、中国語で姓(日本語で、せい・かばね)は、正しく「しん」と発音する。
例えば「絵馬」は、最初は氏長(氏上=氏神)に「馬」を献上して治世の願い事をした習慣が、時を経て氏神が神社と成って「馬」の奉納が形式化して馬の絵に成り、やがて現在の木製の板に絵を描いたものに成り、そこに願い事を書き入れて奉納する信仰習慣に成った。
こうした経緯一つ取っても氏神の正体は氏上(氏族の長)であり、尊敬はされていたかも知れないが生臭い神だった筈である。
日本の神社の成り立ちを「氏神(氏上)」に見る上でヒントになるのが明神(みょうじん)と権現(ごんげん)で、実は明神も権現も言わばこの世に現れた神様の事である。
代表的な氏上(神様)が、剣明神社(つるぎみょうじん/織田神社)や東照権現(とうしょうごんげん/日光徳川神社)と言う事になる。
土地の氏神が民を守る事と土地の氏上(うじがみ)が土地と民を守る事は、その到達の意味合いが重なっている。
氏族が先祖を神に祭り上げる事は、子孫である自分達の権力の正統化に繋がる事であるから奇跡現象などの労はいとわなかった筈で、純朴な民がそれを信じても仕方が無い。
そして神社境内は「氏神(氏上)の神域」に成り、その神域の結界を示すものが、「しめ縄(しめくり縄)」である。
つまりその接点は、日本列島他民族乱立時代の部族融合の為の誓約(うけい)や人身御供伝説の神話の世界が形成されるのである。
神(かみ)は日本語で「しん・シン」とも発音するが、中国語で姓(日本語で、せい・かばね)は、正しく「しん・シン」と発音する。
中国語で神を「しん・シン」と発音し、これを列島で「かみ・カミ」と発音するのは「アイヌ語のカムイから来ている」と思われる。
ちなみに中国語で下は「シャァ」と発音し、上は「スァン・シャン」と発音し「かみ・カミ」ではない。
この国(日本列島)は、永い歴史において帝(みかど)が治める「大和合の国」、つまり大和(やまと)の国だった。
帝(みかど・日本読み、中国読みはディ・テェィ)の語源であるが、元は御門(みかど)である。
これが、初期の神社の成り立ちと大きい関わりがある。
「御門(みかど)」と言う呼称であるが、門(もん/かど)に特別な意味があるのは、定住した部族が城砦集落(じょうさいしゅうらく)を築き外敵から部族を一括して守った事から、その出入り口に在る門(もん/かど)を「その部族の象徴」としたものを部族のリーダーに結び付け、そのリーダーを「御門(みかど)」と呼んだのではないだろうか。
そしてその城砦集落(じょうさいしゅうらく)の中心にシャーマニズムを統治に活用する部族のリーダー・御門(みかど)の住居としての屋敷が設けられ、時を経てその地が聖域として神格化されて「神社に成った」と推測するのである。
つまり、門構えがある砦状の屋敷を持つ有力者(征服部族長)の象徴が、御門(みかど)と言う「尊称だった」と考えられる。
逆説的に推測するに、「門を持つ屋敷」は、有力者にしか持つ事は許されなかったのでは無いだろうか?
また、そうした部族長の一部が支配域を広げて国主(くにぬし・王/臣王)に成長し、国主=御門(みかど)と成り、多くの国主(くにぬし)=王(おう)が集まって大国主(おおくにぬし)=大王(おおきみ・後の帝/みかど)を選出した。
御門(みかど)が有力者(征服部族長)の尊称であるから、その屋敷の門が独特の権威を持つ。
そして、その有力者(征服部族長)は、被支配者統治の為に神格化して行く。
つまり御門(みかど)は、当初一人ではなく地域地域で大勢居た。
有力者(征服部族長)の砦状の屋敷も神域化されて、鎮守氏上が鎮守氏神に成って初期の神社の様式が出来上がった。
当初、「社(やしろ)」は神の降臨する為の場所だった。
つまり、神の声(御託宣)を頂く為の祭場だったのである。
所が、何時の頃からか「社(やしろ)」とは建て物であり、神はそこに「常在するもの」と言う解釈に変化して行った。
この辺りに氏神(氏上)様のカラクリがある。
氏神(氏上)様の屋敷が社(やしろ)に成り敷地が御神域に成って、精神的にも冒(おか)す事出来ない権力と成った。
わが国独特の建造物として、鳥居(とりい)がある。
つまり、御門(みかど)として独特の権威を持つ鎮守氏上の屋敷の門が、神格・神域化して殊更権威ある物としての特別な門「鳥居(とりい)」の様式が、時間を掛けて完成されて行った。
まぁ、判りやすく言えば、氏神(うじがみ・氏上)の屋敷兼砦の門が、権威を得て「鳥居に成った」と言う事である。
神域と俗界(人間が住む)を分ける「結界」の象徴が、特徴ある形式で建造された一種の「門」が鳥居(とりい)で、一般的には神社の神域への入り口を表している。
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