岩倉具視(いわくらともみ)
また岩倉具視(いわくらともみ)は、「維新の十傑」に数えられる人物でもある。
岩倉具視(いわくらともみ)は堀河康親の次男として幕末期の京都に公卿として生まれて居る。
千八百三十八年(天保九年)に岩倉具康の養子となる。
注目に値するのはこの岩倉家、鎌倉初期に活躍した土御門(源)通親(つちみかど・みなもとの・みちちか)の後裔、村上源氏の支流であり、武系の流れも有する公家だった事である。
岩倉具視(いわくらともみ)には旺盛な野心があった。
岩倉家の養子と成った事で、岩倉具視(いわくらともみ)は関白であった鷹司政通の門流となり、朝廷での発言力を得て朝廷改革の意見書を提出した。
岩倉具視(いわくらともみ)は、千八百五十四年(安政元年)に孝明天皇の侍従となり、以後活発に活動を始める。
千八百五十八年(安政五年)に幕府老中の堀田正睦が日米修好通商条約の勅許を得る為に上京した時に、岩倉具視は反対派の公卿を集めて阻止行動を起こし、尊皇攘夷運動を支持して王政復古の中心的な役割をした。
王政復古が成ると岩倉具視(いわくらともみ)は、公家としては七卿落ちの三条実美(さんじょうさねとみ)と共に維新政府の首脳として要職にあった。
岩倉は外務卿(外務省の長官)に就任、さらに太政大臣が新設されて三条実美(さんじょうさねとみ)が就任したので岩倉が右大臣を兼務した。
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