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伊勢義盛(いせよしもり)

源義経の有力家臣・伊勢三郎義盛の出自が明らかでないのは、ひとえにその出自を秘す陰陽修験諜報組織に伊勢義盛が関わって居たからである。

いずれにしても謎の多い人物で「義経記」では、義盛は伊勢国二見郷(浦)の人で「伊勢の度会義連(わたらいよしつら)」と言う「伊勢神宮の神主の子である」とされ、また三重郡司川島二郎俊盛の子として「三重郡福村(現菰野町福村)で生まれた」とも伝えられて居る。

三重郡司(みえ・こおりつかさ)の川島家と言い、伊勢神宮の神主・度会家(わたらいけ)と言い、実は借り物の系図と言う事も伊勢三郎義盛の場合は大いに有る。

伊勢(三郎)義盛は源義経が鞍馬山で剣の修行をしていた牛若丸・遮那王の頃から武蔵坊弁慶と共に義経に臣従し、最初から最後まで行動を共にしている。

伝えられる伊勢(三郎)義盛の出自は、「伊勢神宮と関わりのある豪族の家柄だ」と言われる伊勢大神宮の神主だった。

伊勢大神宮は皇統を守る御神域で、祭神は天照大神、代々皇統に繋がる者が神主を勤めている。

伊勢(三郎)義盛は、幼少時に伊賀の中井・某の下で養育されていた。

その後、若い頃に度会郡二見郷に流落し、江村に在住して伊勢江三郎を名乗り、武芸全般の修行をしている。

しかし、何しろ修験の草(影人)の事で、履歴も複数在り、どれを採るか難しい所である。

修行時代の若い頃から、居所も名前もその都度身元を気取られないように転々と変え、鈴鹿山に潜伏して一時、焼下小六を称していた。

その後上野国荒蒔郷に潜居して居たが、父の依頼(命令)で源義経の鞍馬から奥州下向に際し家人として加わり、伊勢(三郎)義盛を名乗っている。

第二巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2008-04-30 00:16  

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