赤松則村(あかまつのりむら/円心)
護良(もりなが)親王が吉野に挙兵、河内国の楠木正成(くすのきまさしげ)も千早城に挙兵する。
勘解由小路党が動き、修験系の荒法師、悪党などに宣旨(せんじ)が飛び、呼応して各地に幕府討伐の火の手があがる。
赤坂城や千早城(ちはやじょう)に於いて智謀(ゲリラ戦法を駆使)を用いて幕府軍を翻弄した楠木正成(くすのきまさしげ)や、播磨国苔縄城にて挙兵した赤松円心(則村)のように諸国の反体制武士集団「悪党」が続々蜂起して鎌倉幕府を苦しめた。
しかし赤松則村(あかまつのりむら/円心)は、倒幕に成功して建武の新政後、後醍醐天皇の護良(もりなが)親王への処置に異心を抱く。
後醍醐天皇の大失敗の事例の一つは赤松円心を敵に廻した事である。
赤松則村(円心)は、播磨の国の反体制武士集団「悪党」の頭目であった。
赤松円心の息子則祐が護良親王に近侍していた関係で、護良親王の挙兵に参戦、苔縄城で挙兵、京に攻め入り幕府軍と戦った。
赤松則村(円心)は幕府討伐に戦功を上げたが、護良親王が後醍醐天皇によって鎌倉に幽閉された後、天皇と対立する足利尊氏側に与力して北朝擁立や室町幕府の成立に関わり、後醍醐天皇側の新田義貞軍は、五十日間に渡って赤松円心の「白旗城」を攻めたが結局攻め切れず、後醍醐天皇側吉野落ちの要因にもなっている。
詳細は【元弘の乱(げんこうのらん)と鎌倉幕府滅亡】に飛ぶ。
参考リスト【正中(しょうちゅう)の変から室町幕府成立までの主な登場人物と主な出来事】<=クリックがお薦めです。
【赤松氏(あかまつうじ)】に続く。
【嘉吉の乱(かきつのらん)】に続く。
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皇統と鵺の影人
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