阿倍比羅夫(あべのひらふ)(一)
左大臣・阿倍倉橋麿と越国守・阿倍比羅夫(あべのひらふ)と言った顔ぶれである。
七世紀(奈良時代末期)の中頃には、大和朝廷の勢力範囲は日本海岸沿いで、北陸の越国まで達しており、この頃の阿倍比羅夫(あべのひらふ)は、大和朝廷の将軍で、越国守を任じ、北陸の越国(えつのくに)の国司をしていた。
つまり、阿倍比羅夫(あべのひらふ)は大和朝廷の勢力範囲の最前線に居て、阿倍氏一族の内、「引田臣」と呼ばれる集団を率いていた。
また一説に拠ると越国(えつのくに)・阿倍氏は、独立した有力部族長説(国主=倭国王の一人)があり、阿倍比羅夫(あべのひらふ)や阿倍氏一族が、どの時点で大和朝廷に参加(一体化)したのか、現時点では定説はない。
安倍清明は、阿倍倉橋麿から数えて九代目の子孫にあたり、阿倍倉橋麿と阿倍比羅夫(あべのひらふ)は「従弟にあたる」と言う説もある。
この説では阿倍比羅夫(あべのひらふ)は後の「前九年の役」の源氏の敵役、安倍貞任(あべさだとう)の七代先祖である。
阿倍氏が「早い時期に大和朝廷に帰属した蝦夷族長の血筋で有る」と疑うには、源氏(源頼義・義家)の東征で奥州の安倍一族が「浮囚長」と蛮族扱いにされ、討たれている点だけではない。
阿倍比羅夫(あべのひらふ)の活躍の内容に、疑いが感じられるからだ。
【阿倍比羅夫(あべのひらふ)(二)】に続く。
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