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限界集落(げんかいしゅうらく)

今、日本の各中山間地集落や離島集落を中心に、過疎化・高齢化の進行が進み急速に「限界集落」が増えて来ている。

こうした集落では、就学児童の減少に拠る廃校、生活道路の管理、集落の自治や祭典の継続、冠婚葬祭の相互扶助など、共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かう「ギリギリの状態(限界)に在る」とされ、共同体として生きて行く為の「限界」として表現されている。

そのような「限界集落」には、もはや新生児の誕生が無く、就学児童より下の世代が存在せず、独居老人やその予備軍のみが残っている集落が多く、高齢故に病身者も少なくない。

二千六年に実地された国土交通省調査基準に拠る「過疎地域等における集落の状況に関するアンケート調査」(2007年1月中間報告)では、過疎地域を抱える全国775市町村に対して、そこに所属する62,271集落の状況を尋(たずね)たものであるが、高齢者(65歳以上)が半数以上を占める集落が7873集落(12.6%)、機能維持が困難と成っている集落は2917集落(4.7%)が対象として上がっている。

国の言い分は、道路特定財源の維持の都合もあり、限界集落対策に道路整備を上げている。

しかし現実には、幾ら道路だけを良くしても、「限界集落」に歯止めを掛ける有効対策に成るとは思えない。

所謂(いわゆる)過疎地対策は、「そこに住む魅力」と言うもう少し根本的なものが必要で、「道路を整備する」や「チマチマした補助金を出す」と言った付け焼刃な対策ではザルに水を注ぐようなものであり、有効性の薄い無駄なものに成るだろう。

つまり、「過酷な労働条件の上に娯楽も少ない」と来ては、若者に「そこに住む魅力」を見出す事は無理である。

過去に「限界集落」に在った「そこに住む魅力」は、「村社会(村落共同体・共生社会)」であり、現代の西欧化文明社会がことごとく葬り去ったものである。

村社会(村落共同社会)は村落が共に生きる共生社会であり、共生社会の現実的な証として【共「性」社会】を掟としていた。

その中には、村落維持の為の慣習として「夜伽(よとぎ)歓待」の「マレビト習慣」と言う経験学的な掟も活用されていた。


【共「性」社会】だからこそ全村「身内感覚」で助け合いながらやって行けた。

つまり、現代の「こう有るべきだ」みたいな裏づけの無い奇麗事に拠る精神論では無く、共生の為の【共「性」社会】と言う具体性が有った。

そこの根本が崩れた今、「建前」の「べき論」を幾ら唱えても若者の中山間部回帰は難しい。

切欠は欧米思想の私権教育であり、止めは集団就職に拠る若年労働層の流出だった。

欧米思想の私権意識を高めておいて、【共性】と言う現実的楽しみの無い中山間部に「留まれ」と言うのは酷な話で、中山間部の「集落維持」の根幹を成していた「村社会(村落共同体社会)」の「共生意識(共性意識)」を、急速な西欧化に拠って捻じ曲げ、極端な「私権意識(個人意識)社会」にシフトした事で村落の若者は故郷を捨てた。

実はこの中山間地の過疎化問題は新しいものでは無く、江戸期には既に江戸・大阪の大都市の町方と諸国の在方との大都市の人口集中問題として存在した。

これは江戸期に於いても都市部と村落部での格差問題が生じていた又は耕作地と人口のバランスが崩れていたからだが、大都市への人口集中は裏返せば農村部の生産基盤を失う事であるから、魅力として群れ婚状態の村落共生社会の維持は必要だったのかも知れない。

詳しくは、【私の愛した日本の性文化】を参照。

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by mmcjiyodan | 2008-05-02 03:33  

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