ブランド神話
あのみっともないブランド好きは、何処から来たのか?
その事には、立派な理由がある。実は、日本の民人(たみびと)は、永い事血統のブランドを、価値観として強いられて生きて来た。
我輩に言わせれば、これこそが、良くも悪くも「日本人が信じさせられた日本文化」そのものである。
このまま読み進んでいただければ、この血統のブランドが日本人の価値観を永く支配して来た事に気が付く筈である。
この日本文化とも言える「血統ブランド主義」の弊害は随所に見られ、その変形が「学歴主義」である。
つまり、本人の人間性ではなく、安易に学歴で人物を評価してしまう弊害で有る。
優秀(ゆうしゅう)の優は、優(すぐ)れている事を指すが優(やさ)しいとも読み、優秀の秀は秀(ひい)でているとも読み、つまり秀(ひい)でて優しい人物こそ優秀(ゆうしゅう)なので在って、己の野望の為に他者を殺す者は学歴が在っても優秀とは言わない。
簡単な話し、国家公務員上級職試験(キャリア)に合格すれば、善人だろうが悪人だろうが官僚に成れる。
成った官僚は、小・中・高・大学校で勝ち組みだった輩で、自分が頭が良いから、世間は「言い成りに騙せる」と思い上がった低俗な人種である。
その辺りが、日本の役人汚職の根底にある。
国家を運営する者は、なるべく利巧に越した事は無いが、「利巧」と言うものには性質(タチ)があり、悪賢いのも利巧の一種で有る。
しかし、その辺りは事前には試しようが無い。
本来の値打ちは学歴ではなく「学識であり、社会性をも含めた知性だ」と思うが、いかがか。
また別の要因として、この国には技術が氏族(支配階級)の専有だった歴史があり、故に日本独特の技術を尊び育む土壌が在った為に、「ブランド神話」に対する民族的感性が、育った事も事実である。
さて本論に入るが、永い事血統のブランドを価値観として強いられて生きて来た「日本人が信じさせられた日本文化」は、日本人をブランド好きにして外国人から見ると「滑稽だ」と言われるみっともないブランド好き神話を生み出した。
そしてやって来たのが「偽ブランド時代」であり、相次ぐ老舗ブランドメーカーの偽装不祥事である。
中身の優劣ではなく、老舗ブランドなら無条件で信じる「日本人の日本文化」が、それを容易にし助長させた。
中には「地域ブランドの素材を使っている」と偽装しただけで売れ行きが増したから「止められなかった」と言うまんまる偽装のメーカーまで現れた。
「老舗ブランドだから、大手ブランドメーカーだから」と信用しても、食品でもガス器具や自動車でも不祥事に対する姿勢は隠蔽(いんぺい)努力なのであるから、ブランドなど現実には充てにならない。
それだけではない。
お上、つまり官庁も立派なブランドであるが、この心理をうまく利用した「振り込め詐欺」が横行している。
「官庁から」と言うだけで舞い上がり、信じて大金を振り込んでしまうのだが、お上、つまり官庁も立派な隠蔽(いんぺい)組織であるから、ブランドの価値観を手放しで信じるのではなく、ソロソロその「質」をキチンと検証して行く姿勢を国民が持つべきではないだろうか?
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皇統と鵺の影人
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