佐久間盛政(さくまもりまさ)と賤ヶ岳の合戦
家臣筆頭の柴田勝家と明智光秀を討ち主君・織田信長の敵を取った羽柴秀吉がそれぞれ信長の遺児・織田信孝と亡き信忠の嫡男、三法師君を押して対立したのである。
この対立、徳川家康は対立の圏外に居てその行方を見守っている。
正直、双方とも実力者で家康に取って厄介な存在であるから、どちらか片一方が始末されるに越した事は無い。
柴田勝家は清洲会議以後羽柴秀吉との対立を深め、千五百八十三年(天正十一年)ついに両者は近江国余呉湖畔で対陣する。
この余呉湖畔の対陣がそのまま後に世に言う「賤ヶ岳の合戦」に成るのだが、この戦いでも柴田、羽柴両者の性格や戦振りがハッキリと現れている。
実は羽柴秀吉の「再び中国大返し型」の得意戦法と柴田勝家の正攻法判断が、この賤ヶ岳の合戦の行方を決めていた。
柴田勝家の属将に、勝家の甥にあたり「鬼玄蕃」と言う異名を持つ佐久間盛政(さくまもりまさ)と言う勇猛な武将が居た。
属将と言っても柴田勝家に従って加賀国一向一揆を鎮圧、信長から加賀国一国を与えられた大名である。
この時点では、前田利家も兵五千を率いて勝家の陣営に布陣している。
両軍対陣したものの、当初は両者持久戦の構えで、中々戦端を開けずにらみ合いが続いた。
最初に動いたのは、佐久間盛政(さくまもりまさ)である。
盛政(もりまさ)の陣へ、密かに勝家の養子であったが秀吉側に寝返っていた柴田勝豊の家臣が駆け込み、総大将の秀吉が主力の軍勢を引き連れて大垣に出かけていて留守である事を内通した。
総大将不在を聞いた佐久間盛政は、「ここで優勢に戦を進めよう」と敵将・中川清秀(なかがわきよひで)の砦を急襲する作戦を叔父の勝家に提案した。
当初はこれに反対した勝家であったが、盛政の強い要望により妥協して「中川の砦を落としたらすぐに勝家の本陣に戻る事」と言う条件つきで承諾した。
賤ヶ岳の戦いの緒戦、中川清秀の砦の急襲作戦は見事に成功し、佐久間盛政は清秀を討ち取り砦は陥落した。
本来なら叔父・勝家に命じられた通り帰陣すべき所だが、敵の総大将・羽柴秀吉は軍勢を引き連れて「遠方の大垣に出かけ留守」と言うまたと無い勝利の機会だった。
佐久間盛政は欲を出し、この勝利を足掛かりにして「戦の勝敗を決してしまおう」と羽柴秀長の陣を討つべく準備に取り掛かっていた。
所が、この敵総大将・羽柴秀吉不在は大掛かりな罠だった。
例のごとく羽柴秀吉の軍勢は、柴田勢の常識が通じない特殊な能力を持つ軍勢である。
この機をかねてから準備して待っていた秀吉が、予定通りの強行軍で戦場に戻って来て、佐久間盛政はまんまと敵中に孤立してしまった。
ここで盛政勢の支援に回るのが前田利家の軍勢五千の筈だが、何故か前田勢は動かず合戦のたけなわで突然撤退を開始し、盛政勢と勝家の本陣の連絡が断たれ盛政勢は壊滅し結果勝家軍は秀吉軍に大敗を喫してしまう。
佐久間盛政は再起を図って加賀に落ち延びようとするが、途上、佐久間盛政は中村の郷民に捕らえられ羽柴秀吉に引き渡され処刑されている。
一方の総大将・柴田勝家は敗北して北ノ庄城へ逃れる途中、突然兵を引いて越前・府中城(武生市)に籠っていた前田利家の元に立ち寄り、これまでの利家の長年の与力の労に感謝を述べ、湯漬けを所望して「利家と別れをした」と「賤岳合戦記」に伝えられている。
その後、府中城(武生市)に籠っていた前田利家は、秀吉の使者堀秀政の勧告に従って利家は降伏し、北ノ庄城(福井市)に籠もった柴田勝家攻めの先鋒となった。
前田利家は、戦後本領を安堵されるとともに佐久間盛政の旧領・加賀の内より二郡を加増され、尾山城(のちの金沢城)に移った。
律儀者の勝家は、「織田家大事」の一念だけで立ったが、戦となれば、秀吉は天才信長仕込みの発想で戦う無類の戦上手である。
そして何よりも「勝つ事」が全てで、武士としての面子に拘らず、その方法手段に迷いが無い処が秀吉の出自を伺わせるものである。
しかし、柴田(権六)勝家は古風な男で、戦の仕方も正攻法だった。
そして諸将の大半は、計算高かった。
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