暗闇祭り(くらやみまつり)
勘違いしては困るが、正直、搾取階級などはどこの世界でも精々全体の五パーセント留まり位の占有比率でないとその社会が成り立たない。
つまり支配階級の氏族と被支配階級の庶民階級との構成比率は経済学的に決まっているから、僅かなウエィトしかない支配階級の氏族の歴史だけが必ずしも日本民族の歴史とは言い切れないのである。
歴史を動かしていたのが氏族(貴族及び武士)だったので日本史を氏族中心に考え易いが、それは歴史の派手な方の一部に過ぎない。
儒教の影響を受けたのは、氏族社会(貴族及び武士社会)であって、文盲時代が長かった庶民階級に儒教が浸透していた訳ではない。
庶民における伝統的日本社会は「性」に大変寛大で、江戸幕末の開国当時日本に来日したキリスト教国の欧米人が仰天したほど「性」に対し実におおらかに肯定的で開放的だったのである。
その「性」におおらかな証拠は、各地の祭礼に残っている。
昔、子創りは神の領域で神事だった。
庶民の間に、男女の交わりを指す隠語として「お祭りをする。」と言う用法がある。
本来、信心深い筈の庶民の間で、神の罰当たりも恐れず使われていたこの言葉の意味は、何故なのだろうか?
命を未来に繋ぐこの行為を、「ふしだらなもの」ではなく、「神聖なもの」と肯定的に捉えられていたからに他ならない。
神社の祭典は、時代の変遷に伴って現在のように大人しいものに成ったが、当初はエロチックなものだった。
そもそも日本列島の神・事代主(ことしろぬし)は、田の神(稲作神)である。
元々「命を生み出す」と言う行為は神の成せる業で、それを願う行為が「お祭り(性交)」なのである。
気が付くと、神前で挙げる結婚の原点が此処に垣間見れる。
日本の祭りのルーツは、夜祭「妙見祭」の北斗妙見(明星)信仰が源(もと)であり、田の神(稲作神)・事代主(ことしろぬし)から始まっ陰陽修験の影響を受けているから大抵豊年踊りの「暗闇乱交祭り文化」である。
何処までが本気で何処までが方便かはその時代の人々に聞いて見なければ判らないが、五穀豊穣や子孫繁栄の願いを込める名目の呪詛(じゅそ)として、祭り(祀り)としての性交行事が認められていた。
北辰北斗信仰は、遊牧民からインドに伝わり、ヒンズー教の影響を受けた仏教では「七仏八菩薩・諸説・陀羅尼神呪経(ダラニシンジュキョウ・妙見神呪経)」として「大蔵経」の密教部に組み込まれ、中国では、道教(どうきょう)に取り入れられ、唐代の密教(みっきょう)に強く影響を与えた。
その後、真言宗や天台宗と共に日本に伝わり、北辰を真言宗では妙見菩薩(みょうけんぼさつ)、天台宗では尊星王(そんせいおう)と呼ばれた。
妙見信仰は、伝来当初渡来人の多い南河内など辺りでのささやかな信仰であったが、次第に畿内などに広まって行った。
大和朝廷はこの妙見信仰の最大行事・夜祭「北辰祭(妙見祭)」を、「風紀の乱れ」を理由に禁止した。
奈良県明日香村・飛鳥坐神社(あすかにおます神社)には天狗とおかめの情事(ベッドシーン)を演じる「おんだ祭り(御田祭)」がある。
飛鳥坐神社(あすかにおます神社)の「御田祭(おんだ祭り)」は日本三大奇祭のひとつと呼ばれ奇祭扱いをされているが、これも明治維新の文明開化前は、広く「日本全国で、同様の祭礼をしていた」と言われる。
熊本県阿蘇地方では、おんだ祭り(御田植神幸式)になると新嫁に「おんだカタビラ」を与える風習があった。
つまり田植式(豊穣祈願)と子造りは「神聖な神事」として思想的に連動して考えられていた。
記紀(古事記・日本書紀)の記述からは「神懸かって舞った」と読める天宇受売命(アメノウズメノミコト)は、神託の祭事を行なう巫女である。
列島の民(日本人)は、「先住民(縄文人)と渡来系部族の混血だ」と言われていて、天宇受売(アメノウズメ)の夫神・猿田毘古神(サルタヒコ)は先住民(縄文人)、后神・天宇受売命は渡来系弥生人だった。
神話においては、猿田彦が天孫降臨を感知して雲に上って上天し、「途中まで出迎えた(渡来を歓迎?)」とされ、その時天孫(渡来人・進入部族)は猿田彦に対し天宇受売命を「使者として交渉させた(誓約/うけい・性交による群れの一体化の儀)」と言う。
つまりこの夫婦(めおと)二神の役割もまた、「新旧民族の融和(誓約)の象徴」と言う訳で、性交は平和と信頼の肯定的な証だった。
この夫婦(めおと)二神が、天狗(猿田彦)とオカメ(天宇受売)に成り、後世に伝承される神楽舞の面(おもて)として残ったのである。
静岡県の伊豆稲取・どんつく神社の奇祭「どんつく祭り」は「二千年間続いて来た」と言われ、御神体は大きさ三メートルの男根型で、その御神体を載せた神輿を女性が担ぎ、神社(女性)へ向かい、どーんと突くから「どんつく」なのだそうである。
夫婦和合、子孫繁栄を願うこのような祭りや御神体は全国各地にあり、愛知県は小牧、田懸(たがた)神社の豊年祭は、男達が男性器をかたどった神輿「大男茎形(おおおわせがた)」を担いで練り歩き、小ぶりな男性器をかたどったものを巫女たちが抱えて練り歩く。
田懸(たがた)神社の創建の年代は不詳だが、延喜式神名帳に「尾張国丹羽郡 田縣神社」と有るからこちらもかなり古いものである。
また、大縣神社の「豊年祭(姫の宮祭り)」が田懸(たがた)神社の豊年祭と対になっており、こちらは女性器を型取ったものを巫女達が抱えて練り歩く。
新潟県長岡の諏訪神社 ・奇祭「ほだれ祭」の御神体も男根型である。
「ほだれ」は「穂垂れ」と書き、五穀豊穣や子宝を授かるなどを祈願するもので、神輿に鎮座した重量六百キロもある男根御神体の上には、新婚のうら若い女性が数名、男根型御神体を跨いで乗り、下来伝地区内を練り歩く。
長野県松本・美ヶ原温泉の薬師堂に男根型道祖神を祭り、祭礼には巨大な男根木像・御神体の御神輿を担いで練り歩「道祖神祭り」も有名である。
岩手県遠野の「金精様」とは豊饒と子孫繁栄のシンボルとして男性の性器をかたどった石や木を祀る民俗神で、この金勢様や金精様は全国に存在する。
日本における所謂(いわゆる)庶民参加の祭り行事のルーツは、北斗妙見(明星)信仰が源(もと)であり、陰陽修験の犬神信仰の影響を受けているから大抵その本質は「乱交祭り文化」である。
つまり、本音はただの性欲のはけ口かも知れないが(?)、建前は子供(命)を授かる事が豊作を祈る神事であるからだ。
祭りを性開放の行事とした名残りは各地にあり、例えば、静岡県庵原郡興津町(現、静岡市清水区・興津)の由井神社でも、夏祭の夜は参集する全ての女性と交歓して良い風習があった。
愛媛県上浮穴郡田渡村(現、小田町)の新田八幡宮は縁結びの神様で、毎年旧二月卯の日の祭礼の夜に、白い手拭をかぶって参詣する婦人は娘や人妻、未亡人の別なく「自由に交歓して良い」と言う事になっていた。
毎年六月五日に催され、奇祭として知られる京都・宇治の「県(あがた)祭り(暗闇祭り )」は、今でこそ暗闇で御輿を担ぐ程度であるが、昔は暗闇で相手構わず男女が情を通ずる為の場だった。
県(あがた)神社は、古くは大和政権下に於ける宇治県主(うじあがたのぬし)に関係する神社と見られている。
その県(あがた)神社の祭礼「県(あがた)祭り」は暗闇祭りで俗に「種貰い祭」とも言われ、祭礼で行き会った多くの男女が性交に及び、妊娠すれば「神から子種をさずけられた」とした祭りだった。
西の京都・宇治「県(あがた)祭り(暗闇祭り )」に対して東の暗闇祭り (くらやみまつり)で有名なのは、源頼義・源義家の奥州征伐の「戦勝祈願に寄進した」とされる府中・大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)の「暗闇祭り (くらやみまつり)」がある。
大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)の祭神は大黒天(大国主)で、この三大奇祭の一つに数えられる神社は武蔵一の宮(総社)である。
この大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)の暗闇祭り (くらやみまつり)は基本的に厳粛な神事として巫女舞神楽が舞われ、宮堂に選ばれた男女が御夜籠りして神を迎えようとする「祭事(さいじ)」である。
信仰を集めるには楽しみが必要で、神事の行われる真夜中の一定時刻には社地はもとより氏子の集落一帯は全部燈火を消し、雨戸を開放しておかねばならぬに約束事になっていた。
この祭りが「夜這い祭り」とも呼ばれ、昔は一般の男女参拝客はその祭りの期間だけ「暗闇の中での情交(夜這い)が許される」とされていた。
この暗闇祭りを猥褻(わいせつ)で非文化的な生々しい伝承と捉えるか、往時の庶民文化を伝えるロマンチックな伝承と捉えるかは貴方の心構え次第である。
多面的に考察すれば、元々自然な人間の生態は群れ婚の生き物で、文明の発達と伴に成立した近・現代の一夫一婦制の考え方は、あくまでも生活単位を主眼にした便宜的なもので、生物学的には本来不自然な男女関係である。
暗闇祭り(くらやみまつり)に於ける不特定多数の性交が可能だった背景には、それなりの庶民的な性規範の存在と同時に、開放的なノーパン着物文化が大きく貢献したのかも知れない。
何しろ手探りで着物を捲くりあげれば事足りるのだから、相手の顔が見えない暗闇の方が後腐れがない一時の神の恵みの歓喜なのだから。
本当は判っているのに、それを認めたがらない事は往々にしてある。
現代に於いては、子が欲しい夫婦に不妊治療に非配偶者間人工授精(AID)と言う夫以外の精液を使用して妊娠する方法がある。
不妊の原因が夫に避けなければならない遺伝子がある場合、夫が無精子症で全く精子がない時やそれに近い条件の時、血液型の不適合、手術・薬剤による射精異常である場合などがAID不妊治療の対象になる。
現代でこそ医療技術が向上して人工授精が施術可能に成った。
だがしかし、昔はそうした事は望むべきも無いから、天からの授かりものとして相手不詳の子種を得るしか方法が無かった。
祭り事は統治(政道)の意味でもあり、「お祭りをする」は性交の隠語でもある。
祭らわぬ(マツラワヌ)とは「氏上(氏神/鎮守神)を祭らわぬ」と言う意味だが、つまりは「氏族に従わない」と言う事で、この辺りの民心を慮(おもんばか)ると、氏上(氏神/鎮守神)の祭りに事寄せ、神の前の暗闇で乱交を行なうそれ事態が、ある意味「民の反抗心が為せる事」と言う読み方も伺えるのである。
こうした事例は何も珍しい事ではなく、日本全国で普通に存在する事だった。
そこまで行かなくても、若い男女がめぐり合う数少ないチャンスが、「祭り」の闇で有った事は否定出来ない。
性におおらかな風俗習慣は明治維新まで続き、維新後の急速な文明開化(欧米文化の導入)で政府が禁令を出して終焉を迎えている。
日本人は歴史の大半を通じて「性」に大変寛大で肯定的だった為に、開国当時日本に来日したキリスト教国の欧米人が仰天したほどに性に開放的で「あけっぴろげ」な国だった。
その庶民文化が、明治維新後の新政府の欧米化政策により都合が悪くなる。
諸外国と対等に付き合いたい日本国とすれば、性意識においておおらかな日本が欧米の物差しで計られて「野蛮・卑猥」と評されかねないからである。
そこで、外聞に拘る「恥に蓋をする文化」が増長され、改ざんと隠匿が恒常的に為される社会が膨らんで、本来人の範たるべき政治家や官僚、検察・警察、学者・教師、宗教家に到るまで、「恥の文化」はなく「恥に蓋をする文化」が横行し、日本中がその妖しさの中に生きている。
しかし、「何もわざわざそんな過去を蒸し返さなくても・・・」が本音で、こうした過去は俗説扱いに成り、やがて消えて行くものである。
都合の悪い過去は「無かった事」にする為に、消極的な方法として「触れないで置く」と言う手法があり、積極的な方法としては文献内容の作文や改ざんが考えられる。
意図をもってお膳立てをすれば、やがて時の流れと伴に既成事実化してしまうもので、留意すべきは、たとえ実在した事でも、後に「有ってはならない」と判断されたものは、改ざんや隠蔽(いんぺい)が、権力者や所謂(いわゆる)常識派と言われる人々の常套手段である事実なのだ。
貴族・氏族社会では、家長が女性で「よばう形」で男性を寝屋に引き入れる習慣・「よばひ(夜這い)制度」は、虚弱精子劣性遺伝に苦しめられていた古墳時代から平安初期の貴族・氏族社会では、家系を後世に繋ぐ手段として有効だった。
そしてこの妻問婚(つまどいこん)の「よばう形」が無くなり、女性が家に嫁ぐ形に成った平安中期くらいから、今まで「よばひ(夜這い)制度」が塗布していた問題が噴出し、貴族・氏族社会で「養子のやり取り」が頻繁に行われる様に成ったのは皮肉である。
その後この問題の合理的な解決として考えられたのは、祭りの晩の神からの授かりもので、よそ様の種を頂いて自分の子として育てるには、性交相手は顔も判らぬ見ず知らずで性交場所は暗闇が良い。
夜這いは、愛すべき日本人の知恵だった【私の愛した日本の性文化】に飛ぶ。
【民族性・・「個の性規範」と「集団の性規範」の違い】に飛ぶ。
日本に於ける神道系信仰習俗をまとめると、「歌垣の習俗」から「豊年祭り」に「エエジャナイカ騒動」、「暗闇祭り」から「皇室祭祀」に到るまで、「北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)」に集約される「妙見信仰」の影響が色濃く残っている。
そして天孫降(光)臨伝説の創出に、賀茂・葛城の事代主(ことしろぬし)の神と共に天之御中主神(あめのみなかみぬしかみ)の妙見信仰が「習合的に採用された」と考えられるのである。
詳しくは・小論【暗闇祭り(くらやみまつり)の歴史認識】を参照下さい。
◆【性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。
◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。
◆このコンテンツ(記事)を「引用」・「転載」する時は、必ず原作者名・未来狂冗談を明記した上で出典元の当方アドレスをリンクで貼って下さい。
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