襖障子(ふすましょうじ)とセクハラ
しかしそれが永い歴史の有る我が国の伝統「性」文化なのだから、キリスト教国の欧米人の指摘は本来なら余計なお世話である。
この辺りの「性」に対する認識の違いは、日本建築にも如実に現れている。
元々日本家屋は、和室の仕切りに使う建具として「襖障子(ふすましょうじ)」を使う。
襖(ふすま)の語源であるが、寝所は「衾所(ふすまどころ)」と言われ、衾(きん)は元来「ふとん、寝具」の意であるが、「臥す間(ふすま)」から「衾(ふすま)」と呼ばれるようになり、言わば寝所の仕切りが襖障子(ふすましょうじ)と成った。
日本家屋は、窓は木製の組子格子で素透視で中を覗き見れるわ、声は素通ししで聞けるわで、御所を始め御殿の類と言えども造りが開放的である。
天皇を始め皇族貴族の寝所でさえそうだから、欧米のような気密性の高い性交の場の必要性は余り感じない文化だった事は間違いない。
この国の建物の建築技術から建具の技術までその洗練された匠(たくみ)の技巧をみれば、気密性を生み出す技術が無かったのでは無く、これは「性」に対する考え方の違いで、我が国の「性」に対する認識が衣装におけるノーパンティ文化同様に、然して秘するものでは無かった事は明らかである。
襖障子(ふすましょうじ)は木製の枠組みの両面に紙または布を張ったものであるから、あまり私生活(含む性生活)を秘するに有効な設計とは思えない。
不都合があれば改善する能力が有りながら「それをしない」と言う事は、この襖障子(ふすましょうじ)の余りのプライバシーを守れない建築を、当時の人々がさして不都合と感じなかった訳である。
武士、商家、庶民とどの階層においても、外と部屋との仕切りも部屋と部屋の仕切りも襖障子(ふすましょうじ)と「性生活」は開け広げで、親子間のプライベートも有ったものではない。
戦後の復興期にアメリカ型自由主義と欧米キリスト文明の性意識が流入して全てが私権的に成り、建物も欧米キリスト文明の考え方が主流に成ってプライベート重視の壁を多用する間取りと鍵が掛かる個室に成った。
建物の構造が変わって、日本人の意識が変わってしまった。
性行為が未来に子孫を残すおおらか神事から、「秘すべき卑猥な行為」と極端に歪曲されて扱われ、蓋をして「存在しない事」で在るがごとく放置した為に逆に性的に正しい発育を阻害され、性行為の代替に殺人を犯すような人間がたくさん育つ社会に成ってしまった。
近頃騒がれているセックスハラスメント(セクハラ)にしても、パワーセックスハラスメント(パワセクハラ)にしても、要は立場の弱い方が「被害意識」として感じるかどうかの問題で、この国の氏族(貴族・武士)社会の価値観では「被害意識」よりも「幸運な成功のチャンス」と捕らえた時期が永かったのである。
セクハラは「被害意識」の問題だから勿論だが、相手が好ましい相手ならセックスハラスメント(セクハラ)は成立しない。
好ましいの中身でも、「好き嫌いから贅沢をさせてくれる」まで結構判断基準の範囲は広い。
また、パワーセックスハラスメント(パワセクハラ)においても、我が国の永い歴史で言えば実は「お手つき」は力の強い者から「声を掛けて貰った(チャンスを貰った)」と喜ぶに値する事で、パワーセックスハラスメント(パワセクハラ)が立場の弱い方に立場を好転させるチャンスだった時の方が遥かに長い。
つまり今では考えられないが、「誘いを待ち望んでいた」或いはそう言うチャンスを得た者を羨(うらや)んだ歴史がある。
正に当時は、性交は成功に通じ「お手付き」は出世であり、領主と家臣の主従関係においては「お召し上げ(妻の)」や「お下げ渡し(妾妻の)」、「稚児小姓(男色寵愛/衆道)務め」はどちらかと言うと出世に繋がる幸運だった。
詳しくは【私の愛した日本の性文化】に飛ぶ。
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