真言宗当山派(東密)・天台宗本山派(台密)
この様な技術は、当初は主に漢文の読み書きに通じた渡来人の僧侶によって担われていたが、やがて朝廷に奉仕する必要から征服部族の子孫が行う事となり、七世紀後半(奈良時代末期)頃から役小角(えんのおずぬ)が初期の陰陽組織を成立させて、帝の影の使い「陰陽師」が現われ始め、陰陽修験は大王(おおきみ/帝)の諜報工作機関として成立した。
役小角(えんのおずぬ)が初期の陰陽組織を成立させてから百三十年余り後、ここで陰陽修験道は新たな時代を迎える。
八世紀(平安初期)の始め、ちょうど弘法大師(空海)と伝教大師(最澄)が仏教修行に行っていた唐(中国)から帰って来た頃、時を同じくして「陰陽寮」が設置される。
七世紀後半から八世紀始めに律令制が布かれると、国家体制の確立を目的として、陰陽の技術は中務省の下に設置された「陰陽寮」へと組織化される。
すなわち初期の陰陽組織を公然化して「恐れ」の国家体制を再構築し、民意を誘導して再び大和朝廷の下(国家管理)に置く目論見があったのである。
平たく言うと、天子降(光)臨伝説(征服部族が空から舞い降りた神)の「デマを流布する」目的である。
元来、為政者の情報操作が、民意誘導の基本的テクニックで有る事は、「原始村落社会の成立」と言う小社会の昔から普遍的なものである。
現在では映像がその主役になっているが、当初は占術託宣、呪術的なものであり、原始宗教であった。
その利用目的を、より為政者有利に誘導する為の組織として「陰陽寮」は中務省の下に設置され、更に諜報機関としての裏面も備えていたので有る。
この事は、偶然だろうか?
いや、明らかに大和朝廷はこれを「統治に利用しよう」と考えたのである。
或いは、当時渡来信仰として無秩序に広がっていた「妙見信仰」を、空海や最澄を大師として遇する事で朝廷の影響下に置く計画だったのかも知れない。
そこで大和朝廷は、異例の速さで弘法大師(空海)と伝教大師(最澄)を高僧として扱い処遇した。
弘法大師(空海)が唐から伝えた経典の一部に、密教がある。
同時期に帰国した天台宗の最澄も空海の密教理念を自派の教えに取り入れる。
弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)達が、大和国(日本)にもたらした密教の、強力な「現世利益の秘法」は、「深遠な秘密の教え」の意味である。
この真言宗の教えの中の密教と陰陽修験(日本古来の山岳信仰・神道)などが結びついて、山岳修行僧と言う新しい信仰形式が生まれ、役小角(えんのおづぬ)を祖とし、天台宗の本山派(天台山伏・台密)、真言宗の当山派(真言山伏・東密)の山岳修行僧などが、結び付いて新しい形式の陰陽修験として発展している。
この修験道の「密教・山岳信仰」のルーツこそ、中華帝国を経由し仏教と習合して伝わった遥かヒマラヤ山脈の「夜這いの国々のヒンズー教起源」である事は間違いない。
元々弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典を現代の先入観に当て嵌めて真言密教を理解しようとする所に無理がある。
弘法大師(こうぼうだいし/空海)が中国から持ち帰った経典には、ヒンドゥー教の経典も多数含まれていた事から、真言密教が生まれた。
だからこそヒマラヤ原産の桜木も日本に伝わり、吉野に代表する山岳信仰と桜木は日本でも一体のものと成った。
それが弘法大師(空海)の密教と結びついて真言宗の当山派(真言山伏・東密)修験、伝教大師(最澄)の密教と結びついて天台宗の本山派(天台山伏・台密)修験が生まれそれぞれが布教の為の工作もするようになった。
密かに、列島中の鉱物資源探査を実地していた陰陽修験組織が発見した温泉を、弘法大師(空海)が「岩に独鈷杵(とっこしょ)を振り下ろして発見した」と言う「信仰上の奇跡伝承」として流布した温泉発見のケースは、弘法大師(空海)に限らず高僧の徳として日本全国に在る。
陰陽師起源の詳しくは、小論【陰陽師=国家諜報機関説】を参照下さい。
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