文明開化(欧米文化の導入)
しかし勘違いしてはこまる。
言わば、儒教・儒学(朱子学)の精神思想は永い事「氏族の精神思想」で、江戸期にはその「忠孝思想」が「武士道(さむらい道)」の手本に成ったが、けして庶民の物では無かった。
氏族(渡来征服者)ではない庶民(賤民/せんみん)奴婢/ぬひ))には縄文人(被征服者)としての独自文化・「集団婚(群れ婚)」の名残が残っていた。
つまり、当時の支配者側と庶民側の「性に対する意識の違い」を理解せずに、現存する支配者側(氏族)の文献にばかり頼ると「暗闇祭り」や「夜這(よば)い制度」・「寝屋子親・寝宿(ねやど)親 制度」の意味が理解出来ないのである。
庶民側のそうした風俗習慣は明治維新まで続き、維新後の急速な文明開化(欧米文化の導入)で政府が「禁令」を出して終焉を迎えている。
明治新政府は、文明開化(欧米文化の導入)で欧米列強と肩を並べるべく近代化を目指し、一方で強引な皇統の神格化を図り、天皇に拠る王政復古によって、神道による国家の統一を目指し、それまでの神仏習合から仏教の分離を画策して、廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)と銘銘し、仏教の排斥運動や像、仏具類の破壊活動が行われた。
同時に国家の統治の要として儒教・儒学(朱子学)の精神思想を採用、国家と天皇への忠誠を広く庶民に啓蒙したのである。
狩猟の民である先住民(蝦夷族/エミシ族)=山窩(サンカ・サンガ)は、仏教の教えである「殺生の禁止」を生業としていた。
しかし大和朝廷では、仏教を国家統一の為に採用して啓蒙していたので、「殺生の禁止」を生業としていた山窩(サンカ・サンガ)は、永く非主流の狩猟遊民として定住もままならない存在だった。
この歴史現象を公平に判断すると、この仏教の教えである「殺生」を禁じた教えを渡来民族政府だった大和朝廷が採った事は、日本列島運営の政治的な計算も在った筈である。
正直大和朝廷政府は、原住民族である先住民(蝦夷族/エミシ族)の抵抗には平安末期まで苦労していた。
それでも時を費やしながら、先住民(蝦夷族/エミシ族)の末裔である賤民(せんみん)奴婢(ぬひ)を含む平民にも、仏教の教えは徐々に定着して行った。
現にこの「仏教化政策」は成功し、四足動物の建前上での食肉禁止は明治維新までほぼ国民の多数合意されていた。
その食肉禁止の文化も、明治維新の文明開化で薄れて行った。
基を正すと歴史経過の中で取り残されたに過ぎない一部の部族文化を、「自分達と価値観が違うから」と差別するは、最初から間違っていたのだ。
但し一部の賤民(せんみん)部落に残った四足動物処理文化への差別は、一部の心無い人々の意識の中に現在でも残っているのは残念である。
ここで問題なのは、古来の神道に儒教・儒学(朱子学)は無かった事で、廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)とは言いながら、庶民生活においては政府の意向で「神仏習合」から「神儒習合」に変わったのが現実である。
明治維新以後、保守的な漢学者の影響によって教育勅語などに儒教の忠孝純潔思想が取り入れられ、この時代に成って初めて国民の統一した意識思想として奨励された。
つまり、かつての日本的儒教(朱子学)は、武士や一部の農民・町民など限られた範囲の道徳であったが、近代天皇制(明治以後)の下では国民全体に強要されたのである。
従って庶民の大半には、古くからの北斗妙見(明星)信仰や陰陽修験の犬神信仰、真言大覚寺派の教えも明治維新までは根強く残っていたのは確かである。
実は、村社会・地域社会の絆とも言える身内感覚(共同体意識)を支えた「おおらかだった庶民の性意識思想」を代えたのは明治維新に拠る新政府が、近代化を図る為に「文明開化(欧米文化の導入)」を行い、キリスト教の教えを基にした欧米型の精神思想を啓蒙、また国家の統治の要として儒教・儒学(朱子学)の精神思想を採用、広く庶民に啓蒙した事に拠るもので、この事が、徐々に庶民の村社会・地域社会の身内感覚(共同体意識)を失わせた。
宗教上(信仰上)の本来不変である筈の正しい教えが、権力者の都合や宗教指導者の都合、歴史の変遷の中で変化して行く所に、宗教(信仰)の妖しさを感じるのは我輩だけだろうか?
幕末の日本を訪れた全ての外国人が日本人を見て驚いた事は、日本人がおしなべて「愉快そうに暮らして居た事だ」と言う。
づまり外国人が驚いたのは、屈託無い笑顔がこぼれる日本人の暮らし方だった。
この外国人が驚いた「愉快そうに暮らす日本人」の根底に在ったものは、町場の町役人を頂点とする運命共同体的近所付き合いの町人生活と村落部の夜這い村落共同体村人生活が、結構生活し易いものだったからに他ならない。
そして、その愉快そうに暮らしていた日本人から笑顔を取り上げ表情を暗くして行ったのが、皮肉にも西欧文化を取り入れた文明開化だったのである。
鍵を掛ける習慣がないほどの安定安全社会だった全て身内気分の村落・・「村社会」を破壊したのが米国を含む西洋文明である。
日本の庶民社会が「性に対しておおらか」だった事を米国を含む西洋文明が、性に対して自分達と考えが違うを持って「野蛮」と言うのであれば、この十八世紀から二十一世紀の今日までの米国を含む植民地主義の西洋文明が「野蛮な文明では無かった」と言うのか?
米国を含む西洋文明の歴史は、あれこれと理由を作り「戦争、侵略、暗殺、銃社会」と言う「犯った国(者)勝ち」の身勝手な発想を実行して来た「野蛮な文明」である。
それを真似した明治維新以後の日本政府は、「戦争、侵略」と言う強引な欧米化を推し進め、昭和前期の大戦に国民を巻き込んで甚大な人命被害と財産被害をもたらせた。
近頃苦悩している日本経済の再生は「過去の歴史から学ぶべきもの」である。
明治新政府の皇統の神格化が太平洋戦争(第二次世界大戦)の敗戦で代わり、国民主権の民主国家に変貌する。
敗戦後に影響を受けた米国型の個人主義偏重の自由思想は、人々を極端な個人主義に走らせ、遂には個人の主張が身内にまで向けられ、気に入らなければ親兄弟でも殺す人間が急増している。
この明治以後に初めて庶民にまで浸透した儒教的価値観と欧米型の精神思想を、まるで「二千年来の歴史的な意識思想」のごとくする所に、大いに妖しさを感じるのである。
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