日本人の宗教観
一般的に日本人の宗教に対する姿勢は、良く言えば「寛容」、悪く言えば「好い加減」である。
何故なら他国から見れば信じられない事だが、日本人は異宗教の神社とお寺を同時に信仰し、キリスト教徒の祭りであるクリスマスを楽しみ、最近ではラテン・カーニバルの模倣も町単位で始めてしまった。
判り易く言えば、クリスマスを楽しみ初詣に神社に行き寺もお参りもして一人の人間が異なった宗教の祭りを同時に違和感無く楽しむ。
それ故外国人に言わせると、日本人の宗教観は「えらく好い加減な信仰だ」と言われている。
これは、古(いにしえ)より長い歴史に培われた多神教社会の民族的間性で、一神教の国々では理解し難い事である。
こんな信仰の混在生活は他国では赦されない行為で、一神教のキリスト教国、イスラム教国、ユダヤ教国のみならず、同じ多神教の隣国・中国でもそれぞれの信仰はそれを信じる人は一筋で、国や地域で混在していても一人の人間の中での混在生活は在り得ない。
つまり日本人は信仰に対する「貞操観念が希薄」と映るらしい。
しかし、この日本人的寛容の感性、悪い意味で「好い加減」とばかりは言い切れない。
長い間多神教社会であったからこその「受け入れの良さ」もある。
それが証拠に、ユダヤ教徒だろうが、イスラム教徒、キリスト教徒、ヒンズー教徒、仏教徒に対峙しても、日本人は原則敵意を抱かない。
互いの宗教感を曖昧ながらも容認して一緒に楽しむ感性は、正に言葉通り「好い加減」な社会性かも知れない。
この事は「日本」と言う国家の成り立ちにその特異な宗教観の源が在る。
日本列島の歴史は、大和合の国(大和国/やまとのくに)の成り立ち方から始まり、世界でも珍しい「特異な文化」を結実させた。
黎明期の日本列島は、縄文人(先住蝦夷族/せんじゅうえみしぞく)の土地へ多くの渡来部族(征服部族)が進入して各々が土地を占拠、都市国家もどきの小国家群「倭の国々」を造り、やがてその「倭の国々」が大和合して大和朝廷を成立させるのだが、その過程で和合の為に宗教観に拠る紛争を排除する知恵を働かせた。
元々の先住蝦夷族(せんじゅうえみしぞく/縄文人)は自然神崇拝で万物が神だった。
そこに宗教が異なる各渡来部族(征服部族)が各々の神を持ち込んだのだが、大和朝廷は統合当地の為にそれらを争う事無く全て容認する八百万(やおよろず)の神の国を成立させ、縄文人(先住蝦夷族/せんじゅうえみしぞく)と渡来部族(征服部族)各部族が誓約(うけい)の混血を進めて弥生人を生み出したのである。
確かに一つの宗教に一筋の信心深い人にして見れば、日本人の宗教観は「貞操観念が希薄」と批判されるかも知れないが、一つの宗教に一筋の信心深い人達がその宗教観で相手を否定し紛争や戦争まで起こすと成ると、日本人の「えらく好い加減」な宗教観は、世界平和な良い物ではないだろうか?
実はこの宗教に対する日本人の「貞操観念が希薄」と同じように、今は失われた【日本人の性文化(誓約/うけい)】に於いても同様に大和合の国(大和国/やまとのくに)の成立の為に誓約(うけい)の混血を進める知恵を働かせ、性に於いても「貞操観念が希薄」な「特異な性文化」を結実させた。
その「特異な性文化」は、明治維新の文明開化まで村社会の中で「夜這(よば)い」や「寝屋子宿(ねやこやど)・寝宿(ねやど)」、「暗闇祭り」として生き続け、欧米の個人競争資本主義とはまったく違うイデオロギーの「共生社会」を成立させていた。
考えて見れば、世界的なミュージシャンであるジョンレノンとその妻ヨーコレノンは、ベットインパホーマンスで、世界平和をアピールしていた。
考えるに、或いはこの二つの「貞操観念の希薄」が世界平和と人類共生に通じ、地球危機を救うヒントになるかも知れない。
【私の愛した日本の性文化】
◆【性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。
◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。
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皇統と鵺の影人
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未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2008-07-22 22:10