霊犬伝説「しっぺい太郎(悉平太郎)」
意図して隠されているが、語り継がれて遺されている民話伝承の類には、後の世に伝えたい恐ろしい真実が隠されている事が多い。
この人身御供伝承に拠る生け贄は、何故か村落の有力者の娘が限定で、まずこの条件に例外は無い。
ヒョットすると、これは神の使い「犬神」から新しい命を授かる為の儀式なのかも知れない。
その昔、花園天皇(第九十五代・後醍醐天皇の前の帝)の治世の話である。
信濃駒ケ岳のふもとにある光善寺で、何処からともなくやって来た一匹の「雌の山犬」が五匹の子犬を産んだ。
寺の和尚も、慈悲深い人柄で、この山犬の親子の暮らしぶりを見守っていたのだが、やがて子供達が母犬と区別出来ない程に育った頃、母親と四匹の子供は山へ忽然と帰って行った。
しかしどうした事なのか、五匹の中でもひときわたくましく利発だった子犬だけが一匹だけ寺に残っていた。
「おやおや、この子(犬)だけ置いて行かれたのか?」
何かと親子に目をかけていた和尚は、少し不思議に思ったものの、この一匹が寺に残った事をたいそう喜んで一緒に暮らす事にする。
光善寺の和尚は、その子(犬)を「しっぺい太郎(悉平太郎)」と名づけて慈しみ育てた。
一方、遠州地方(遠江国・静岡県)の見附宿辺りに、村人に娘の人身御供を要求し、これに従わなければ近隣の田畑を荒らして、凶作をもたらす恐ろしい神が居。
秋祭りの頃に成ると、毎年の様に「娘の居る村の家」の戸口に、白羽の矢を立てるのである。
この白羽の矢の話し、同類と思えるものが結構広範囲に伝承されている所から、話の出る元は広範囲な活動をした組織の存在を窺わせる。
該当するとしたら、それはやはり陰陽寮の修験組織の「呪術目的」としか考え様がない。
矢を立てられた家は娘をこの悪神に差し出さなければならなかった。
地域の安全が個人よりも優先される当時の「村落共同体社会(村落共生主義)」では、親は泣く泣くでも人身御供を承服しなければ成らない。
村人達は、「背に腹は代えられぬ」と仕方なくこの悪神の要求に従ってはいたが、やはり娘を贄に差し出さなければならなくなった家の者の悲しみは言い様も無いほどだった。
この妖怪を相打ちで倒したのが「しっぺい太郎(悉平太郎)」と言う犬(神)だった。
たまたま遠江国・見附宿を通りかかった旅の修行僧がこの人身御供に同情し、先ずはその妖怪の正体を確かめるべく八月十日の祭りの夜に拝殿の下に忍び込み、「信濃の悉平太郎に知らせるな。」と言う妖怪の叫びを耳にする。
妖怪が「信濃の悉平太郎なる者を恐れている」と思った旅の修行僧は、この人身御供と言う哀れな慣わしに苦しんでいる見付の人々を救う為、早速、悉平太郎を捜す旅に出る。
旅の僧は信濃国中を捜し歩き、漸くある村で赤穂村(現駒ヶ根市)の「光善寺にいる犬が悉平太郎だ」と言う話を耳にした僧は、早速遠州見附の窮状を訴えて悉平太郎を借り受けるべく、意を決して光善寺を訪ねた。
光善寺を訪ねて見ると境内に立派な犬が居た。
光善寺の「しっぺい太郎(悉平太郎)」は成長し、やがてたくましい霊犬に成長していたのだ。
「なるほど、この霊犬なら妖怪が恐れるのもうなずける」と、旅の修行僧は確信した。
光善寺を訪ねた旅の修行僧は、光善寺の和尚に会って見付で見聞きした顛末を語り、悉平太郎の借り受けを懇願した。
事情を知った光善寺の和尚は、済民の為ならばと悉平太郎の遠州見付行きを快諾された。
旅の修行僧が「しっぺい太郎(悉平太郎)」を伴って遠州見付に戻ると、折りしも見附宿はその年の八月十日の祭りを迎えていた。
祭りの当日の夜、人身御供を食らおうとする妖怪に悉平太郎は猛然と怪物に襲いかかった。
この妖怪と悉平太郎との戦いは凄まじく、叫び声が「翌朝まで見付の町にまで響きわたった」と言う。
翌朝、境内には大きな年老いた狒狒(ヒヒ・猿科)の化け物が血まみれになって横たわっていた。怪物はついに悉平太郎により退治されたが、悉平太郎も深手を負い、境内の今の山神社の所で「息絶えた」と言う。
何やらこの話も、「能登のしゅけん伝説」や能登国(石川県)七尾の霊犬伝説「霊犬伝説「しゅけん」」や北近畿(丹波・丹後・但馬)地方の霊犬伝説「霊犬伝説「鎮平犬」」と良く似た所がある。
しっぺい太郎、或いは早太郎と呼ばれる霊犬の伝説は以上の様なものだが、信濃国(長野県伊那地方)から遠江国(静岡県遠州地方)にかけて、類似した多くの伝説が残されており、その一つ一つは他の類話と微妙に異なっている。
詳しくは【天狗修験道と犬神・人身御供伝説】に飛ぶ。
【日本の伝説リスト】に転載文章です。
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