比売大神(ひめおおみかみ)・天照大神(あまてらすおおみかみ)・卑弥呼(ひみこ)同一人物説
宇佐神宮は、八幡神の応神(おうじん)天皇を祭る神で、全国の八幡神社、四万社の総元の神様であり、「天照大神を祭る伊勢神宮に次ぐ」と言う相当格式の高い神社である。
応神天皇の母后、神功皇后もここに祭られている。
一説には、神功皇后は架空の人物で、「卑弥呼との兼ね合いで後から創られた」とする話もある。
しかし、主神である筈の応神大王(おおきみ・天皇・第十五代)は、宇佐神宮の本殿の中央には鎮座してはいない。
中央におわすのは、余り一般には知られては居ない謎の祭神、「比売(ひめ)大神(おおみかみ)」である。
その左右に、応神、神功、の両神は鎮座ましましている。
比売大神については、その道の研究家でも良く解明されてはいないが、応神大王(おうじんおおきみ・天皇)を横に据えるからには、かなりの大物(尊い)の神様に違いない。
この並び順を、単なる造営順番に起因する「イレギラーだ」とする学者も居るが、少し考えれば「在り得ない事」と判る。
何故なら日本で一・二を争う最高の神社で、それでは安易過ぎはしないか?
当然ながら、信仰から神を扱う以上、その並び順には神経を使い、然るべき所に御鎮座願うのが当り前である。
比売大神(ひめのおおみかみ)の正体が判らないから社殿の造営順などとばかな結論を出す。
この謎解きは簡単である。
宇佐神宮の主神が八幡神であり、八幡神は武神(戦神)である。
そして八幡神は菩薩(女性神仏)であり、しかも大が付く大菩薩となると、相当の格を持つ神である。
武神(戦神)比売大神(ひめのおおみかみ)が八幡大菩薩と同一と考えると、考えられるのはそれこそ比売大神(ひめのおおみかみ)が「天照大神(あまてらすおおみかみ)の戦闘モード」と符合して来るのである。
この比売(ひめ)大神(おおみかみ)が卑弥呼と同一人物の可能性がある。
魏志倭人伝に見える倭国内の国々の一つである邪馬台国の女王は、「卑弥呼」と記されている。
この卑弥呼は日本の歴史上謎の人物だが、卑弥呼は大陸・魏帝国側が列島側の音(オン)を漢字(中国語の音)に充てた表記ではないだろうか?
比売(ひめ)大神(おおみかみ)は比売(ひめ)命(ヒメノミコト)とも呼ばれ、或いは比売皇女(ひめみこ/ヒメミコ)も限りなく音が近い。
邪馬台国の国家の運営は、卑弥呼の御託宣(シャーマニズム)を背景に行なわれていた。
そのシャーマニズムの根幹、御託宣を為す存在が火(アピ/火の意)だったのである。
アピ(火/原ポリネシア語)は、先住蝦夷(エミシ)の族長一派が名乗り、縄文期の列島の首領(火を操る指導者)の尊称である。
その娘はアピの娘(アピミコ=火皇女)であり、日女皇子(ヒメコ/火女皇子)とも言う。
つまり邪馬台国の女王「卑弥呼」は尊称で、卑弥呼には別な固有名があった筈である。
女(おんな)は中文(ツンウぇン・中国語)で「ニュョイ」であるが、アイヌ語では巫術女(みじゅつめ/巫女・みこ)の事をオイナ・カムイ(oyna ・kamuy)と言い、このオイナ(oyna)が「女(おんな)の語源ではないか」と考えている。
原ポリネシア語の「アピ(火の意)」とアイヌ語の「アピェ(ape・火の意)」は共通していて、インドネシア語系の「アピ(火)」も同じ音である。占術、呪術に於いて火(炎)は重要なアイテムで、日本語の火(ひ)は、韓語(ハングル)では火(プル)、中語(ツゥンウェン・中文)では火(フォ)であるから、火を「ヒ」と発音する事も「アピ」が訛って「ピ」に成った可能性が高い。
魏志倭人伝(中国語)が意味よりも音(オン)を優先すれば「卑弥呼(火皇女=ヒミコ/ピミコ)」と充てる事は充分考えられる。
比売(ヒメ)は神代の神格化した女性に対する尊称で、後世の代の姫に通じる。
そこで九州・宇佐神宮(宇佐八幡宮)に鎮座まします「比売(ひめ)大神(おおみかみ)」が、邪馬台国の女王「卑弥呼」で有っても不思議は無い。
いずれにしても皇室の扱いを見ると、伊勢神宮と、宇佐神宮は、本来、天一族(あめのいちぞく)の最高神達である。
この宇佐神宮には、古代史から続く日本の歴史を舞台に、謎が幾つもある。
恐らくは、統一王朝の成立に至る幾多の出来事に、それ以後の政権運営に、宇佐神宮が「深く関わっていた」からではないだろうか。
たとえば、七百二十年頃の九州隼人(薩摩隼人)の乱がある。
これは、南九州の部族「隼人族(はやとぞく)」の反乱である。
南九州の部族は、隼人族であるが、別名を熊襲(くまそ)と言う。
今の大隈、薩摩の両半島の辺りで幾度となく起こった反乱であるが、中央政権側の討伐軍(朝廷軍)の大将が、大友旅人(おおとものたびと)である。
朝廷はこの戦にあたり、宇佐神宮に勅使を送り戦勝祈願をしている。
これを「勅使(ちょくし)参拝」と言う。
平安初期、八百年代に起きた称徳大王(しょうとくおおきみ・天皇)が弓削道鏡(ゆげのどうきょう)に天皇位を譲ろうとした事件でも、和気清麻呂(わけのきよまろ)は近くの伊勢神宮ではなく、わざわざ宇佐神宮の御神託を仰ぎに遠方の九州まで出向いている。
朝廷の一大事に、アドバイス(助言)したのが、他でも無い宇佐神宮なのだ。
「宇佐神宮御神託事件」である。
この「御神託事件」だが、物部(もののべ)氏の一族である弓削氏の一族の一人と云われている弓削道鏡(ゆげのどうきょう)は、若年の頃、法相宗の高僧義淵(ぎえん)の弟子となり、良弁(ろうべん)から梵語(サンスクリット語)を学ぶ。
また大和国(奈良県)の葛城山に篭り「密教の宿曜秘法を習得した」とも言われる。
道鏡は、七百六十五年に太政大臣禅師、翌年には法王となり、仏教の理念に基づいた政策を推進した。
豊前国(大分県)の宇佐神宮より「天皇の位を道鏡に譲れ」との神託が下る。
しかし、和気清麻呂が勅使として参向し、以前の神託を否定して即位計画は破綻した。
つまり朝廷にとって、「比売(ひめ)大神」は、特別な存在らしいのだ。
しかしどの記述でも、その存在や由来は明かされる事はない。
そこに厳然と鎮座ましますだけである。
そして、宇佐神宮、(八幡神社)は、戦いの神であった。
そして八幡神は武の神様で有り、清和源氏の戦の守護神である。
つまり源氏は皇統の影人である。
それで思い付いたのが、「変身説」である。
或いは、平和の象徴である天照大神の、戦いの時の「変身したお姿」が、比売(ひめ)大神ではなかろうかと、我輩なりに大胆に推理して見た。
天照大神は太陽信仰の神であり、大地の豊穣を願う農耕民族(天一族/天孫族)の女神である。
この平和の象徴が、乱暴な須佐王(スサノオ)が高天原にやって来た時、天照大神が男装に着替えて武装して威嚇した。
その御姿こそ、宇佐神宮におわす「比売大神」ではないだろうか。
平和の神・天照大神と争いの神・比売大神が、都合により顔を出す仕掛けだ。
民に平和と幸せを提供するのが、朝廷の役目である。
それで、朝廷としては建前上大っぴらに公表出来ない。
だから存在意義を説明できない。
それでなければ、比売大神(ひめのおおみかみ)は永久に謎の存在で終わってしまう。
皮肉な話しであるが、現代の日本でも「平和憲法の建前」から、軍隊を軍隊と呼べず「自衛隊」と称して居る様に、平和の神に戦闘モードは似合わないからである。
この説の裏付けとして、もう一つエピソードがある。
初代神武大王(おおきみ・天皇)が東征に先立ち、宇佐神宮に寄ったと、「紀記(古事記・日本書紀)」に記されている点からも、応神大王(おうじんおおきみ・天皇)が主神では、時代が前後してしまうのだ。
神武大王(じんむおおきみ・天皇)が神とあがめるのは、天照大神を置いて他にない。
それ故、比売大神(ひめのおおみかみ)イコール天照大神(あまてらすおおみかみ)と思えるのだ。
三女神(ミハシラのメガミ)説もあるが、時に応じて、大和朝廷側に平和の神、天照大神と同格の最高の軍神が存在する必要が有ったはずだ。
神話の合理性を思うと、日本の変身の第一に最高神が在っても良いではないか。
尚、三兄妹・三貴神(ウズノミコ)である天照大神、月読命、スサノウ(須佐王)は、「記紀(古事記・日本書紀)神話」に於ける「虚)」の伝承的存在である事を心して分けて扱うべきである
尚、天照大神(天照大御神)は「大日霊/おおひるめのむち」とも言う神名(異称)を持ち、天照大日霊女尊(あまてらすおおひるめのみこと)と言う言い方もある。
その「大日霊/おおひるめのむち」の「おお」は尊称であり「ひるめ/日霊女」は「ひみこ」の事とされ「卑弥呼を指す」と言う解釈がある。
詳しくは、詳論【古代国家・邪馬台国の卑弥呼】に飛ぶ。
◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。
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【崇神大王(すじんおおきみ/天皇)と欠史八代(けっしはちだい)】に飛ぶ。
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皇統と鵺の影人
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