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物部尾輿(もののべおこし)

物部朝臣(もののべあそみ/物部御門)の物部氏の歴代棟梁は、屈指の大豪族(御門/みかど)の一人だったが、六世紀半ばの安閑・欽明両大王(おおきみ/天皇)の頃の棟梁・物部尾輿(もののべおこし)は、大連(おおむらじ)の官位を授かって大和朝廷で力を発揮していた。

欽明大王(きんめいおおきみ/第二十九代天皇)の御世になると、物部朝臣(もののべあそみ/物部御門)の棟梁・物部尾輿(もののべおこし)が欽明大王(きんめいおおきみ/天皇)と組み、それまで最大の勢力を誇っていた大伴朝臣(おおともあそみ/大伴御門)・大伴氏大伴金村(おおとものかなむら)の何十年も前の「任那四県(みまな四あがた)割譲」を咎め、大連(おおむらじ)・大伴金村を朝廷から失脚させている。

大伴(おおとも)氏失脚に伴い、百済系物部氏・臣王と共に力をつけて来たのが、高句麗系の蘇我(そが)氏・臣王である。
当初は物部氏の勢力が圧倒的に強く、大和の対半島政策は、百済(くだら)支援から新羅(しらぎ)支援へと、対応を変えて行くのだ。

所が、欽明大王(きんめいおおきみ/十三年)の頃百済の聖明王から仏像や経典などが献上され(仏教公伝)た時、物部神道の継承者である物部尾輿(もののべおこし)は、中臣朝臣(なかとみのあそみ)・中臣鎌子(なかとみのかまこ)と組んで廃仏を主張し、崇仏派の新興勢力・蘇我稲目(そがのいなめ)と対立した。

ちなみに大化の改新以降に中大兄皇子(天智大王/てんちおおきみ/第三十八代天皇)の腹心として活躍した藤原(中臣)鎌足(ふじわらのかまたり)も若い頃は中臣鎌子(なかとみのかまこ)を名乗っているが、物部尾輿(もののべおこし)と組んだ中臣鎌子(なかとみのかまこ)とは別人である。

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◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2008-09-26 14:18  

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