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輜重(しちょう){秀吉中国大返しの奇跡(三)}

戦は、「兵だけ動かせば良い」と言うものではない。

実際に数万の軍勢を動かすには、食料や矢などの消耗武具から軍馬の餌(飼葉)、経路で消耗する軍資金に到るまで、膨大な「荷役運輸(兵站活動)」が伴なう。

流石に織田信長が、その実力を認めただけの事はある。

羽柴秀吉の「荷役運輸(兵站活動)」の実力が、明智光秀の想像を遥かに上廻っていた。

輜重(しちょう)とは、兵站(戦闘力を維持・増進し、作戦を支援する機能・活動)を主に担当する軍の兵科目の一種である。

日本人は、基が氏族(戦人天孫族/いくさびとてんそんぞく)の発想だから、戦争(戦/いくさ)をするにあたり、往々にして直接戦わない「後方支援」の輜重(しちょう)と言うものに無関心である。

羽柴秀吉は氏族ではなかったからこそ、直接戦わない後方支援の輜重(しちょう)の重要性を承知していた。

信長だけがその秀吉軍の輜重(しちょう)能力を認識していて、いざ自らの新帝宣下(織田帝国)の際は、「真っ先に軍を畿内に返す指示を与えていた」と言う事である。

つまり氏族(戦人天孫族/いくさびとてんそんぞく)の明智光秀は、羽柴秀吉の「輸送力(輜重組織)に敗れた」と言って良い。

「筑前(羽柴秀吉)、こ度の毛利攻めには予に考えが有る。予からの報(しら)せ有らばいつでも京にとって返す備えを道々怠り無くせよ。この事、他言無用ぞ。」

「御意、怠り無く致しもうす。」

光秀も、羽柴秀吉の「輸送力(輜重組織)」に着いて多少の事は想像出来て居ただろうが、まさか「お館様(織田信長)から事前の指示が出ていた」と言う所までは読めなかったのである。

秀吉の「中国大返しの奇跡」に、光秀は、狐につままれたような想いだったであろう。

余談だが、ここで挙げた氏族(戦人天孫族/いくさびとてんそんぞく)の発想の悪癖(あくへき)、実は先の第二次大戦時まで続いて、「後方支援」の輜重(しちょう)に重きを置くよりも「精神論で戦う」と言う馬鹿げた作戦を遂行させている。

秀吉による「中国大返し」の本質を正しく評価せず、只ひたすらに強行軍で返って来たかのごとく解釈する建前発想の悪癖(あくへき)が、「秀吉大返し」の教訓を捨ててしまったのである。

日本人が共通で持つ「日本人的な意識」を前提に、それを強情に「正しい」とする前に、それを見直し「確認しないといけない事」は幾らでもあるのだ。

だが、自らの否定に繋がる事は初めから切り捨てて、中々認める方向で認識する思考には成ろうとしない。

奇跡にはそれなりの種がある。ここでその種明かしをして置く。

明智光秀も読み違えた秀吉の「中国大返しの奇跡」、実は秀吉ならではの人脈の賜物だった。

前述の通り、生駒家(いこまけ)は藤原北家の末裔で、武を用いる氏族の出自であるが、兼業で馬を利用して荷物を運搬する輸送業者「馬借(ばしゃく)」を収入源にしていた。

その事から、河川上の運搬輸送業者である木曾川並衆の頭目・蜂須賀小六(彦右衛門・正勝)とは業務に連携が有って当たり前で、秀吉軍は兵糧部隊も含め、生駒家の協力で、中国街道筋の「馬借(ばしゃく)」が、大軍の大移動を全面支援したのである。

小早川密約(こばやかわみつやく){秀吉中国大返しの奇跡(四)}】に続く。
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第三巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2008-10-17 13:35  

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