台湾原住民族(高砂族/平埔族)
三千年前まで日本列島と同じ経緯を歩みながら、列島が明治期に入る頃までおおむね中華文明から置き忘れた大きな島・台湾島の存在である。
台湾島は、十八世紀から十九世紀頃に到って漢民族が移住して来るまで日本列島と同く黒潮に乗って移り住んだ原ポリネシア系の原住民の暮らす島だった。
中華文明から置き忘れた理由は、朝鮮半島から遠く離れ倭の国々に属さなかったからで、文明的進歩は二千年以上止まったままだった。
この中華文明から忘れ去られた台湾島は、日本列島の歴史のように「誓約(うけい)の概念による混血」と言う平和的な民族合流の手段を持たなかった為に、頑(かたく)なに自分達の文化・習俗・信仰を守って他を排斥して三千年間からの対立の歴史を繰り返し、統一される事無く小民族乱立の中、言語の通じない人間の首を狩る出草(しゅっそう)と言う風習が根付いていた。
つまり、文化も言語も全く隔絶した十数もの原住民族がそれぞれ全く交流する事無く、首狩りそのものが「一人前の成人男子の通過儀礼」とされ、信仰的な意味合いも在って狩った首の数は同族社会集団内で誇示される風習が存在した為、異なる部族への警戒感が強かったのである。
台湾原住民(たいわんげんじゅうみん)は、台湾に十七世紀頃に漢民族が移民して来る以前から居住していた先住民族の呼称である。
日本が植民地支配を始めた明治期の頃の台湾には、平地に住み台湾原住民族と漢民族が混血同化した平埔族(へいほぞく)と高地(山岳地帯)に住み独自の言語・文化・習俗を守って暮らしている高砂族(たかさごぞく)が存在した。
多くの民族集団に分かれて並存し、十四民族(部族)を数える台湾原住民(たいわんげんじゅうみん)の内二民族が平埔族(へいほぞく)、十二民族が高砂族(たかさごぞく)とされたが、台湾原住民の中で一番多い人口規模(総人口の37.5%)を持つ平地民族集団・アミ族と台湾原住民のなかで唯一台湾本島の南西沖の孤島・蘭嶼に居住する民族集団・タオ族を除くと、大半が好戦的民族だった。
そんな台湾原住民(たいわんげんじゅうみん)の中に在って、アミ族の家長は女性で優先順位は女性側にあり、家業・財産は長女が受け継ぎまた姓も母方の姓が引き継がれる母系社会である。
母系社会のアミ族は、アミ語で「シカワサイ」と呼ばれる女シャーマンが主催する二ヶ月に及ぶ秋祭りがおこなわれ、童女が集められて盛んに踊り、激しい踊りの中でトランス状態に陥った童女が次代のシャーマンに任命される。
台湾原住民(たいわんげんじゅうみん)十四民族(部族)に在って「強い母系社会はアミ族だけ」と言って良いアミ族は祭り好きで、豊年祭、播種祭、捕魚祭、海祭などがあり、毎年夏の七月から八月のいずれかに二週間ほど催される豊年祭は最も重要な祭祀儀式である。
歌や踊りを好み、平和で陽気な平地民族集団・アミ族が台湾原住民の中で一番多い人口規模を有し、後発で移民して来た漢民族とも平和に共存している事は偶然だろうか?
日本列島の歴史と重ね合わせる時、母系社会のアミ族は比較的「性におおらか」で、最も日本の先住民族・蝦夷族(えみしぞく)に近い平和的な村社会文化・習俗を持っていたような気がする。
この台湾島の原住民・高砂十二民族の中にも、遠来の客に女性を宛がうマレビト(客人)への夜伽歓待の習慣が在る。
つまり、頑(かたく)なに自分達の文化・習俗・信仰を守って好戦的では外部民族との交流も生まれず、人口も増えずに文明的進歩も止まってしまうのである。
ただ、台湾島に於ける最大勢力のアミ族が非好戦的な平和主義だった事と、日本列島のように中華文明の先進的な武器を携えた侵略部族(うじぞく/氏族)の襲来が無かった事が、台湾島に統一国家化が為されなかった事に繋がったのも事実である。
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皇統と鵺の影人
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