マシュー・ペリーの黒船来航
千八百五十四年(嘉永七年/安政元年)、東海道地区で安政東海地震(マグニチュード八・四の巨大地震)、その僅か三十二時間後には安政南海地震(これもマグニチュード八・四の巨大地震)と、立て続けに発生して居る。
その翌年の千八百五十五年、今度は江戸府内および関八州一帯に被害をもたらした安政の関東大地震(マグニチュード六・九)が起きている。
この大地震を安政三大地震と言い、関東地震(関東)、東海(静岡県)、東南海(中京~南紀)、南海(南紀~四国)と、巨大地震がしばしば連動する。
この巨大地震、「同時期または二~三年後に発生する」と言われ、「約百年~百五十年の周期で活動期に入る」とされている。
安政三大地震は、関東・東海の各地に甚大な被害をもたらせる。
まだまだ文明開化以前の事で、日本に「地殻変動」などと言う地勢学の概念などまだ無いから、「神様がお怒りに成っている」と、民心は素朴に不吉がって、騒然としていた。
地震を科学的に理解する時代ではない江戸末期、天変地異は民心を不安ならしめ、幕府の権威失墜に、大きな力に成って作用しても不思議ではない。
ちょうど、黒船でぺりーが来航した時期(千八百五十三年~四年の二回)と、この安政三大地震が重なるなど、幕府にとっては泣きっ面に蜂である。
そして詳しくは後述するが、「エエジャナイカ騒動」が起こって不安を煽り立てたのもこの時期だった。
ぺりー提督率いる米国インド艦隊に武力で威嚇された幕府は、当然ながら攘夷派と開国・通商派の間でその対応に紛糾する。
この幕府が混乱した時に、登場した幕府の大老が井伊直弼(いいなおすけ)で、彼は狂人的な開国論者だった。
マシュー・ペリー提督によって米大統領国書が江戸幕府に渡され、日米和親条約締結に至って、「幕末」の機運が盛り上がって行く。
ペリーの黒船来航(くろふねらいこう)とは、千八百五十三年(嘉永六年)に米国海軍東インド艦隊が、日本の江戸湾浦賀に来航した事件である。
今から百五十二年前(千八百五十三年)、東京湾の奥深く、江戸に近い浦賀にペリー艦隊がやって来る。
明治維新のきっかけとなった黒船来航についても、正しい見方が必要で、その目的は鎖国していた日本への「開国の要求」であるが、裏にあるのは「日本からの富の収奪」である。
ぺりー来航は、百五十年前の日米和親条約は極端な不平等条約で知られる「日米修好条約」の為であった。
通貨の「為替レートの比率が半分(1:2)」に決められ、米国の通貨二十ドル金貨=二十円金貨(当時世界的に金本位制だった)で金の目方(量)を合わせた単位で始めた通商は、決済には倍の四十円支払う事になり、大量の金銀を日本から米国へ流出する事と成った。
これで当初の目的、日本からの「富の収奪」は長期的に果たされる事に成るのである。
実はこのマシュー・ペリー提督来航後、赴任して来た初代の米国総領事タウンゼント・ハリスと井伊直弼(いいなおすけ)との間で結ばれた「日米和親条約」は酷い不平等条約で、その後の日本の未来に大きく暗い影を落とすものだった。
この権威失墜に乗じて、反幕派による「尊皇攘夷運動」を引き起こし、千八百五十八年頃の「安政の大獄事件」にと、歴史の場面が移り行く事になる。
日本史では一般に、このペリーの黒船来航事件から明治維新の新政府成立までを「幕末」と呼んでいる。
【井伊直弼(いいなおすけ)と安政の大獄】へ続く。
【日米和親条約と不公平為替レート貿易(日米修好条約))】へ続く。
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