裏・陰陽寮(うらおんみょうりょう)
この賀茂氏の血を継ぐ陰陽寮の陰陽助、勘解由小路家(かでのこうじけ)の由来は、勘解由使(かげゆし)と言う官職である。
初代征夷大将軍・坂上田村麻呂を使い、本当の意味で日本列島の大半を征服した大王、桓武天皇(第五十代)は、新王統の創始を強く意識し、積極的な政治・行政改革を展開した。
中でも帝の支配威を国内に周(あまねく)拡げる為に、弛緩しつつあった地方行政の再構築に取り組んだ為、その遂行手段として誕生したのが勘解由使(かげゆし)である。
その勘解由使(かげゆし)の役目を多く賜っていたのが賀茂氏で、賀茂氏の当主が陰陽寮の陰陽助として貴族に列した事から、勘解由(かでの)の名は官職名から公家の呼称となり、勘解由小路家(かでのこうじけ)と言う名跡になった。
桓武天皇(第五十代)の支配威強化を目指した支配体制再構築の行政改革は地方に及び、国司の交代事務引継ぎが難題と成って利権紛争が頻発した。
前任国司やその親族、家臣が在地領主化して定住した為に新任で赴任して来る者との間には、権限と既得権益の争いが発生する。
その結果、地方行政を監査・監督する勘解由使の職が新設される事となった。
律令制下で、国司の交代事務引継ぎが問題なく行われた証として、後任国司から前任国司へ交付されたものが解由状(げゆじょう)で、受領(ずりょう)による国司交替時の利権紛争を抑制する目的で、監査したのが勘解由使(かげゆし)だった。
つまり勘解由使(かげゆし)は、国司の不正を監視・摘発する為に設けられた令に規定のない令外の官(特別な役職)で、日本の平安期に於いて「地方行政」を監査監督する為に設置され、地方行政監査官を担当した。
令に規定のない令外の官で、平安初期、地方行政を監査・監督する為に設置された。
その後、監査の対象は内官へと拡大した。
いずれにしても、明らかに勘解由使(かげゆし)は「監査官」と言う言わば摘発官であり工作員である。
さながら米国のFBIと言うより「CIA」と言う所か?
勘解由使は、平安末期頃まで、「監査機関としての統合任務を負った機能を担い続けた」と考えられている。
役(賀茂)小角(えんのかもおずぬ)が陰陽組織を編成した時点では、まだ葛城朝の私兵的組織だった。
そしてもっぱら「山岳ゲリラの鎮圧と恭順」、帝の「ある密命(大王の密命)の履行」などの非公式な活動に終始していた。
しかし、正式に陰陽寮が設立されると、正規(公)の職務も割り当てられる。
律令に基づく八つの省からなる中央官庁のうち 天皇と直結する行政の中枢である「中務省」に、陰陽寮は設置された。
陰陽寮の担う役割は多岐にわたり、天文気象学や暦学の発表(気象庁など)、呪詛・占術や信仰の管理監督(今で言う神社庁や一部公安警察)と言った表向きの仕事の傍(かたわ)ら、天皇の意志を具現化する役目も負っていた。
陰陽寮の表の公務は、信仰や占術、呪術の統一と運用をもって統治に活用する機関であった。
しかし、陰陽寮の裏の顔の実体は、大王(おおきみ・天皇)直属の「秘密警察」兼「諜報工作組織」である。
いくら建前の奇麗事を言っても、国家の本音に「諜報工作機関」を必要とするのは矛盾である。
これが多くの場合、信仰を利用する所に権力者の狡猾さを感じるのだ。
陰陽寮次官の「陰陽助」勘解由小路(かでのこうじ)の一部は、朝廷の表陰陽寮(おもておんみょうりょう)長官である「陰陽頭」土御門(つちみかど・安倍)の所管した正式業務とは違い、朝廷組織とは独立して大王(おおきみ)の私的意向を果たす役割を担う、裏陰陽寮(うらおんみょうりょう)機関、勘解由小路党である。
人類に「群れ」や「国家」と言う物が成立して以来、為政者にとって「情報の収集と情報操作、裏工作」は、権力維持に不可欠なアイテムである。
従って、国家機関にはダーティな影の部分が存在して当たり前である。
勿論、建前の「神の威光を持って統治する」には似合わない組織で表沙汰にした文献は存在しないが、朝廷に於いてその部分を担うのが裏・陰陽量組織の勘解由小路党だった。
役小角(えんのおずぬ)の陰陽修験から派生した勘解由小路党は裏陰陽寮として朝廷のCIAやFBIの役割を負い、陰陽修験者の形態を持って全国に活動範囲を広げて行く。
結論から言うと、海を渡り日本列島に渡り住んだ渡来部族政権・大和朝廷(やまとちょうてい) の統治政策として現住部族・蝦夷族(エミシ族)の統治政策として考案したのが二重発音をする日本語用法と陰陽寮にコントロールされた修験者だった。
その勘解由小路党が習得した武術の発祥は、陰陽修験道からである。
そして武士(もものふ)の語源・物部氏から枝分かれした穂積系・白藤鈴木氏・雑賀鈴木郷士団と全国にまたがる鈴木氏系の神社神主・宮司も密かに「雑賀流武術を習得していた」とされる。
また、聖徳太子の大伴細人(おおとものさひと)に対する要請で「大伴氏から発生した」とされる甲賀郷士忍術者群、同じく秦氏への太子の要請によるとされる河勝(秦河勝/香具師・神農行商の祖)と伊賀の国人、秦氏流・服部氏族(はとりべ・はっとりしぞく・伊賀流忍術の祖)、同じく信州・戸隠神社修験道から出た戸隠(仁科)流忍術、東蜜(真言宗・総本山金剛峰寺)や台蜜(天台宗・比叡山延暦寺)の密教修行僧兵団、紀州・真言宗根来寺密教修行僧忍術者群、服部氏と同じ秦氏系の剣術で有名な大和国添上郡・柳生郷の柳生氏郷士団も「武術の中に忍術も習得していた」と言われている。
そうした言わば隠密武術(忍術・諜報術)の手段の中に全国を旅して怪しまれぬ職業として修験者や神官が催す神楽舞の神事があり、そこから派生した形で旅役者一座や神農行商(神前露天商)などが生まれ、その神楽舞などの神事が芸能に発展して行く。
容易ならぬ事に、全国を旅して怪しまれぬ職業である陰陽修験者・密教修行僧・旅役者一座・神農行商などは全て言わば忍術者の始祖または祖である。
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陰陽師起源の詳しくは、小論【陰陽師=国家諜報機関説】を参照下さい。
関連小論【賀茂忠行(勘解由小路家)と安部晴明(土御門家)の謎】を参照下さい。
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by mmcjiyodan | 2008-12-09 14:12