江戸(東京)遷都(えどせんと)
京都から遷都する事の意味は、古い政治体質を引きずる公卿達の「新政治に対する妨害を嫌った為」だと言われているが、本当にそれだけだろうか?
明治帝が睦仁親王で在ったなら京都は千有余年の帝城であり生まれ育った土地で、果たしてその明治帝(睦仁親王)が如何に「周囲から口説かれた」と言え、京都から江戸(東京)への遷都に易々と同意するだろうか?
憶測の域を出ない話だが、もし明治帝が京都帝城に何の未練も無い人物だったら、この謎解きは簡単である。
三条実美ら七公卿落ちのメンバーや岩倉具視はともかく、明治帝を早期に京都の公家衆から引き離すのっぴきならない事情が隠されていた可能性もあるのだ。
千八百六十八年(慶応四年/明治元年)、維新中心人物達の奏上(そうじょう)により江戸(東京)遷都の意志を示す天皇の詔書がなされる。
「江戸ハ東国第一ノ大鎮、宜シク親臨ヲ以テ其政ヲ視ルベシ、因テ自今江戸ヲ称シテ東京トセン。東西同視スル所以ナリ」。
千八百六十八年(明治元年)の八月、明治帝は政治的混乱で遅れていた即位の礼を執り行ない、尊王派維新中心公卿の岩倉具視、議定職の中山忠能、外国官知事を任じていた伊達宗城らをともない、警護の長州藩、土佐藩、備前藩、大洲藩の四藩の兵隊など総数三千数百を持って同年九月に京都を出発して江戸(東京)に初めての行幸(東幸)をする。
一行が旧東海道を東に進むと、黄瀬川沿(ぞ)いに旧東海道の宿場、木瀬川宿(キの字が違うが、間違いではない)が有り、その宿を通り過ぎて川を渡れば長沢の地である。
駿河国の東の国境を流れる黄瀬川を越え長沢の地に入ると伊豆国に入った事に成る。
その国境を守る社が、大塔宮護良(おおとうのみやもりなが)親王に所縁の智方(地方)神社である。
その智方(地方)神社の傍らに広がっていたのが、窪地(くぼち)になって在った窪田(くぼんだ)と呼ぶ水田だった。
窪田(くぼんだ)と呼ぶ水田の先には、源頼朝が腹違いの弟・九郎(源)義経と「初めて対面した」とされる八幡神社がある。
この智方(地方)神社と八幡神社の正面に面して旧東海道が設けられているのだが、明治帝の一行が江戸(東京)遷都の為に東幸したのがこの道だった。
明治帝の一行は、黄瀬川を越え駿河国境を越え伊豆国に入った所で休息を取る予定を決め、先触れが当地の世話役達に届いていた。
先触れを受けた当地の世話役は、ちょうど智方(地方)神社と八幡神社の中間地点にあたる広々とした窪田(くぼんだ)の水田に板囲いの仮御所を急遽造営して明治帝の一行を迎え御休息頂いた。
行程二十日間を余す帝の行幸では道中も帝の威信を高めながらの大変大仰な旅で、その仮御所は恐れ多い物だから直ぐに取り壊され、元の水田の戻されて今は遊技場の建物が建っている。
この東幸は旧幕勢力に対するけん制のデモンストレーションの意味合いが強く、また東京と京都(西京)の両京の間で天皇御座(都名乗り)の綱引きもあり、一旦先帝(孝明天皇)の三年祭と立后の礼を理由に、同年十二月には再び京都へ還幸を実地している。
その三ヵ月後の千八百六十九年三月、明治帝は三条実美らを従えて再び東幸を慣行、行幸二十日余りを持って東京城(旧江戸城)に入り、ここに滞在するため東京城を「皇城」と称する事とし、「天皇の東京滞在中」とした上で太政官が東京に移され、京都には留守官が設置された。
この江戸(東京)遷都の背景に、帝を京都御所から引き離したい「何か特殊な事情が在った」とは考えられないだろうか?
当初の発表では、あくまでも京都と東京は二元首都だった。
そして睦仁親王(明治帝)のご尊顔を拝していた女官の大多数は、京都御所に置き去りに成っている。
ついで同年十月には皇后や大臣諸卿も東京に呼び寄せ、着々と既成事実を積み上げる形で完全に天皇御座が東京に移って、これ以降明治帝は東京を拠点に活動する事になり、遷都が完成するのである。
凡そ千年に及び天皇の住まいし都だった平安京(へいあんきょう)は、明治維新を経て江戸の地に遷都され、江戸は東京と名を変えて日本の首都となる。
この江戸(東京)遷都(えどせんと)に依り、千年の怨念から解き放たれた京都は戦時中の空襲から守られ、新たな都に成った東京は首都の怨念を背負って大戦中に灰塵と化している。
つまり都とは、多くの矛盾(むじゅん)に満ちた亡者達が陰謀と怨念を生み出す為にうごめく、生々しく呪われた場所かも知れない。
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皇統と鵺の影人
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